昔・・結婚したいとか、恋愛成就したいとか、そういうことをよく思っていたときだったと思いますが、
あるとき「縁結びで有名な神社のお守りやお土産をいただくシンクロ」を経験したことがありました。
「縁結びで有名な神社のお守りやお土産をいただくシンクロ」・・これは、当時の自分からしたら、普段なかなかないような感じだったので、今でもよく覚えています、というか、今ありありと思い出しました。
あの方や、あの方から頂いたな・・というのも、思い出すほどです。
それで、その後、どうなったか?というのをリアルに書くと、そのすぐ直後に、速攻で、恋愛成就したとか、彼氏ができたとか、誰かを紹介されたとか、そういうわけでもなく、という感じでした。
でも、今振り返ってみると、「もしかして、あれは・・」と思うことがあります。
それは「いろんな人との出会いや再会が急増した」ということです。
老若男女問わず、恋愛とか結婚とかそういうの全く関係なく、みたいな感じです。
あの頃くらいから、いろんな人と出会いました。
そして、その出会いや再会というのは、「当時のわたし」にとって、必ずしも、いつもいつも「ただ単純に、良いもの、嬉しいもの」ではありませんでした。
もちろん、素敵な出会い、嬉しい出会い、幸せな広がりもたくさん経験したのですが、
その一方で、自分の中にある「手放すべきもの、古い固定観念、決めつけ」「未浄化の感情」があらわになるような、そういう出会いもありました。
今思えば、あの、
素敵な出会い、嬉しい出会い、幸せな広がりはもちろん、
自分の中にある「手放すべきもの、古い固定観念、決めつけ」「未浄化の感情」が顕になるような、そういう出会い、
そういったすべてが、真の縁結び、真の癒し、本当の愛の関係のために、必要な出会いだったのだということが、すごく感じられるのです。
・・というか、もっと言えば、その「縁結びのお土産シンクロ」以前から、ずっとそうだった、全ての出会いがそうだった、ということですが、
あのシンクロは「なにがあっても、なにを感じても、それでいいのだ」ということを教えてくれていたんだなぁと思います。
シンクロ、というものが、OKサイン(「なにがあっても、なにを感じても、それでいいのだ」サイン)みたいな、そういう感じです。
自分の中にある「手放すべきもの、古い固定観念、決めつけ」「未浄化の感情」を見ないままだったら、
出会えなかった人、出会えたとしても挨拶程度で終わっただろう人、逃げて避け続けたこと、自信がないままだったこと、というのは、たくさんあったと思います。
縁結び、というのは、
すべての人との出会いには、自分が思っている以上の何かがあって、
その何かを受け取っていくこと、その何かに安心して心を開いていくことが、本当に大事なのかもしれない・・と思います。
最近のわたしは、携帯ショップに行くのも、ネイルサロンに行くのも、歯医者さんに行くのも、どこへ行き、誰と会うのも、
すべて、その誰かと関わること、そして、その方との関係が差し出してくれているギフトを受け取ることが、目的だ・・
ということを、すごくよく感じています。
セッションでも、そんなお話というか、奇跡の体験をお聞きすることも、多いのです。
なぜか、二度手間、三度手間になるようなときだったり、
エゴが目をそらせようとするときほど、
相手との間で、受け取れるものが大きかったりするようです。
エゴが目をそらせようとするとき、というのは、
例えば、
「わたしは歯のために、歯医者さんに通ってるんだ」とか、
「歯医者さんの定期検診に行くのがめんどくさい」とか、
そういう決めつけ・思い込みがあったり、めんどくさかったりするときです。
例えば・・
「わたしは歯のためではなく、この歯科医院の歯医者さん、歯科衛生士さん、受付の方、そういった人々に会うために行っている。
なにか、とても素晴らしい”ギフト”があって、それを受け取りに行っている(らしいぞ)。それを受け取りたい・・。」
という気持ちで、過ごしてみると、本当に受け取れるものです。