わたしの霊的世界観?

わたしの「霊的世界観(現時点での)」みたいな話です。

「わたしの」なので、これが正解とか、真実とか、思う必要はありませんが、ほかの方の話を聞いて、こっちが正解とか、真実とか、やる必要も、ないのです。

スピリチュアルは、芸術だ、です。

わたしたちは、みたいものをみている、神の子。神様の安心安全の愛にずっと抱かれ続けながら、夢を見ていた、神様の子。

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何の話しようと思ったんだっけ。

あ、そうそう。

これも、わたし個人の感覚感性の話なのですが。

わたしには「悪霊」という概念が、昔から、ないのです。

感度がない、というか。

霊=全部真の天使

みたいな。

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昔「どうやって死のうか」「確実に死ねる方法」みたいなのを、調べまくって、頭のなかが「死にたい」で埋め尽くされていました。こういう時期を、わたしは、10年近く、10年以上?すごしました。愛読書は「完全自殺マニュアル」みたいな。もう、内容全部忘れましたけど。

それと同時に、気になっていたのが「死んだら、どうなるのか?」でした。

「正確な答え」が知りたくて、調べました。

ここで「スピリチュアルな教え」に、触れました。

そういえば、このときが、はじめて、本気で、スピリチュアル系の本にハマった瞬間だったかも。

当時、読んだ本には、なぜか、どれを読んでも、「自殺は最大の罪であり、自殺したら地獄に落ちる、めちゃくちゃに苦しむ」的なことが書いてありました。

生意気なわたしは、素直に鵜呑みにできず、「なんで生きてる人間であり死んだことがないはずなのに、そう言い切れるんだ。うちのおばあちゃんは罪などないと言ってたぞ。証拠出せ」などと考えていました(笑)

結局、外側に答えを求めても、しっくりくる答えには出会えませんでした。

これは、当時の自分の「受け取る」が閉じていたから、ということでもあるでしょう。

でも、たくさんの本を読む中で、内側に浮かんできた感覚というものがありました。

それは、

なんとなく、死んだ後の世界は、本がいうような恐ろしい世界では、ない気が、したのです。

しかし、それと同時に、自殺したら、同じ人生同じ苦しみ同じ葛藤を、また、味わう、ような、気もしていたのです。

そのあと、なんどか、「本気な自殺未遂」を何度かするのですが(よく生きていた、と、よく言われました、自分でもそうおもいます)

ちょうど、3回目くらいのときに「ちゃんと死ぬから、まだ、生きていなさい」的なことが響いて、それ以降、むちゃな自殺未遂はしなくなりました。

「ちゃんと死ぬから、まだ、生きていなさい」・・・これは言葉ではないんです、耳で聞こえる声とかでもない。そんなんではなくて、なんと表現すれば正確なのか難しいのですが、今、翻訳すると「わざわざ肉体的苦痛を与えなくても、肉体から解放される約束のときは、必ずやってきますから、それまで安心して、息をしていなさい」です。

こういった、リアルな体験って、忘れないものです。

大変な痛い目(肉体的苦痛)、ちょっとした障害を残し、今も、こうやって、生きています。あの日以来、ハイヒールは、履きたくても履けなくなったんです。下の方の背骨には、ずっと、「17歳のわたし」がいて、自愛を怠ると、すぐに、文句言ってきます(笑)

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これが、わたしの正直な感覚、なんです。

だから、死のうとしている人を「自殺したら、地獄に落ちて、ますます苦しむからやめておけ」みたいなことは、絶対に、言えないのです。そう思ってないので。

正直にいうと、自殺したとしても、わたしたちは、もともと、全員、真の天使、たったひとつの愛。

でも、同時に、上に書いた、「しかし、それと同時に、自殺したら、同じ人生同じ苦しみ同じ葛藤を、また、味わう、ような、気もしていたのです」という感じもあるのです。

でも、でも、わたしも、下手なことは言えませんし、「あの状態のときの苦痛」というのを、わたしは痛感しています。

その上で、一つ、強く、想うのは「お願いだから、死なないで」です。

なぜ、そう想うのか、なんて、わかりません。情が揺さぶられているわけでもないんです。謎なんです。

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霊界には、真の天使しか、いません。って感覚。

幽界(想念界)は、天使と悪魔が、いる。どちらかというと「生きてる人間次第」みたいな、感覚。

※ここでも「誰のせいにもしない」を徹底するのが「ガチの奇跡具現化現実創造引き寄せ」のringo流です。

冥界は、肉体が終わったあとに、一回通過しとくとこ、みたいな。ここを死者が通過するときに、生きてる人間が引き止めるというか、触れるというか、そういうことは、あってはならない感が、ある。たとえば、こういうときに「みえる」みたいなことが、わたしもあるのですが、触れないようにしています。こういうときの見え方って、もう、生きてる人間さんと、見分けがつきません。わたしの場合。しかし、ここは、わたしの「役目」のところでは、ないみたいです、多分、薄いんですよ、御神託とか御祈祷とかにくらべると。

以上、スピリチュアルをちゃんと勉強していない、わたしが、適当に、感覚だけで、かきました。

あなたの霊的世界観は、どんな、ですか?

外側を基準にせず、どんな世界を感じますか?

スピリチュアルは芸術だ、です。

霊能力サイキック能力の開花には、正解不正解の超越が、欠かせないのです。

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