「失ってはじめて得られるものがある」というワードを、つい最近、プライベートで耳にして、なんとなく、ブログを書いてみたいと思ったので、ブログを書いてみようと思います。
「失ってはじめて得られるものがある」
・・その前に、関連して思い出すのが、
「一番大切なものは失ってはじめて気づく」です。
「一番大切なものは失ってはじめて気づく」という言葉というか、教訓というか、これがあまり好きではありませんでした。
自分の中の恐怖を掻き立てていたからです。
恐怖を掻き立てておいて「だから、当たり前だと思えるものに、感謝することが大事」という、この感じが、あまり、好きではありませんでした。
勝手に恐怖を感じていたのは、わたしなので、「一番大切なものは失ってはじめて気づく」この言葉がどうこう、ということではないのですが。
話を戻して「失ってはじめて得られるものがある」について。
これは「手放す恐怖」みたいなものを経験している時期には、恐ろしい言葉、嫌な感じの言葉に聞こえることもあるかもしれません。
今日は、「失ってはじめて得られるものがある」これを、
わたしの感覚で書いてみたいと思います。
例えばですよ。
(よくいただくご相談でもあるのですが)
「〇〇くんと復縁したい、結婚したい」という願い、願いというか執着があり、
その裏に、
・わたしはひとりぼっちで孤独でさみしい
・わたしは惨めだ
・愛される価値がない存在だ
・見捨てられるのが怖い
・わたしは傷つけられた
・・・などの自己否定の信念があるとします。
このような場合、一番簡単でシンプルな方法としては、
「〇〇くんと復縁したい、結婚したい」を手放す、というもので、
なぜそうするかというと、
その裏にある
・わたしはひとりぼっちで孤独でさみしい
・わたしは惨めだ
・愛される価値がない存在だ
・見捨てられるのが怖い
・わたしは傷つけられた
・・・などの自己否定の信念を手放す、ということと、同じ意味であり、
自己否定の信念を手放すということは、無になる、などという意味ではなく、
本来の自己を思い出す、ということだからです。
しかし、これが恐ろしい、ということは、よくあることです。
それで、じゃあ、
「〇〇くんと復縁したい、結婚したい」を手放す、
というのも、
その裏にある
・わたしはひとりぼっちで孤独でさみしい
・わたしは惨めだ
・愛される価値がない存在だ
・見捨てられるのが怖い
・わたしは傷つけられた
というのも、手放したら、どうなるか?
というと・・。
統計上、経験上、非常によくあるのは、
「〇〇くんのことや結婚のことを、ほとんど考えなくなる」とか
「今のまま(パートナーなし)でもすごく楽しい」ってなるとか
そういう感じですが、これは、別に、絶対そうなるとか、法則とか、ゴールとして目指すべきものとかじゃなくて、
統計上、経験上、人間の心理的に非常によくある話・・みたいな話です。
すると、どうなるか、というと、
これもまた、統計上、みたいな意味で、
よくあるのが、
「今のまま(パートナーなし)でもすごく楽しい、しばらく独身生活楽しむのもありかも」となった頃に、
〇〇くんから連絡がきて、再会、復縁の流れになるとか、
他の素敵な人と出会って、お付き合い、結婚の流れになるとか、です。
この「よくある流れ」については、すでに、いろんなところで、見聞きしていらっしゃる方も多いと思いますし、
わたしもセッションをたくさんさせていただいてきた経験上でも、確かによくある、という感じです。
それで、話は戻って、
「失ってはじめて得られるものがある」
について、この「よくある話」を当てはめて考えてみると・・
例えばですよ。
Aさんは、最初、「〇〇くんと復縁したい、結婚したい」という執着がありました。
その裏には、自己否定の信念や罪悪感などがあり、悲しみや怒りやさみしさなどの感情もあり、外側からくっつけてきた固定観念や価値判断、決めつけなどもありました。
そして、それを、手放しました。
手放してみると、「〇〇くんと復縁したい、結婚したい」という執着、焦燥感、不安・・といったものがなくなり、
心が穏やかになり、自然と、〇〇くんのことや結婚のことを、前ほど考えなくなりました。
目の前のこと、今のことを、思い切り、楽しめるようになったからかもしれません。
するとあるとき、〇〇くんから連絡がきて、〇〇くんと再会することになりました。
会ってみると、自分は本当に、もう、〇〇くんになんのわだかまりも持っていないこと、なんの腹も立っていないこと、なんの動揺もなくなっていることが、わかりました。
以前は、〇〇くんに腹が立っていたのですが、なんのことで自分が怒っていたのか、思い出せなくなっていたのです。
〇〇くんが自分を傷つけたことが一度もないし、〇〇くんの本当の姿というのも傷つくことなどない存在であるということの意味が、やっとわかった、という瞬間でもありました。
そして、ずっと、〇〇くんから(そして他のありとあらゆる人から)、愛だけが差し出されていたんだ・・ということが感じられたのです。
それだけでも、十分に嬉しかったのですが、〇〇くんととても穏やかな時間を過ごすことができました。
しばらくして、〇〇くんはAさんにプロポーズして、二人は結婚することになりました。
・・さて、ここで「失ってはじめて得られるものがある」の「失ったもの」は何かというと、
・「〇〇くんと復縁したい、結婚したい」という願望、執着
そして、その裏にある、
・わたしはひとりぼっちで孤独でさみしい
・わたしは惨めだ
・愛される価値がない存在だ
・見捨てられるのが怖い
・わたしは傷つけられた
で、得たものは何かというと、
「孤独感、惨めさ、無価値感、自分は愛されていないという思い込み、見捨てられるかもしれないという不安、傷つけられたという被害者意識、自分は傷つけられることが可能だという信念、そして、自分のこの恐れをなんとかするために外側をなんとかしたいという気持ち」・・
こういった様々なエゴの思考パターンの投影の影響を受けていない穏やかな心(そしてその”やまびこ”としての穏やかな結婚生活)みたいな感じです。
こわいとか、抵抗があるときほど、大きな奇跡が待ってるものなのです。
大事なのは、心の在り方だけです。