後悔してしまうとき

後悔してしまうとき。

過去のあの出来事について、自分はあのときなんてことをしたんだろう、もっとああすればよかったと、悔やんだり。

なぜ、できなかったんだと、自責・自己譴責が止まらなくなってしまうようなとき。

 

 

自分を責めなくていいと、知識として知っていながらも、

過去は過ぎ去ったと、知識として知っていながらも、

何度も、何度も、そのような考えが出てきてしまうときは、

あのとき、わたしは、よくやった。

と、言ってみます。

 

 

たとえ、どんな失態であったとしても(そう思えて仕方がないという場合もあれば、実際問題誰かにひどい迷惑をかけてしまった、傷ついてしまった、ということもあるでしょう)

ただ、あのとき、わたしは、よくやった、と、後悔が襲ってくるたびに、過去のあの出来事のことが思い返されるたびに、そう思ってみます。

 

 

強く強く、自分を責めて、自分をいじめて、自分を卑下しているような状態で、さらに何かを頑張るとか、タスクを積み上げるとか、そのようなことはもうやめると決めて、

あのとき、わたしは、よくやった、と、何度も、言います。

 

 

あのとき、確かに、わたしは、未熟だったかもしれない。

あのとき、確かに、わたしは、無知だったかもしれない。

あのとき、確かに、わたしは、自分が正しいと信じ込んでいる価値観をみんなも信じるべきだと疑わなかったかもしれない。

あのとき、確かに、わたしは、状況に甘んじていい気になりすぎていたかもしれない。

あのとき、確かに、わたしは、当たり前のことが有難いことだと、ほんとうの意味でわかっていなかったかもしれない。

あのとき、確かに、わたしは、周りが見えなくなっていて、自分のことしか考えられなくなっていたかもしれない。

あのとき、確かに、わたしは・・・

 

 

それでも「あのとき、わたしは、よくやった」し、「今までずっと、よくやってきた」のです。

そのとき、そうしてしまったのは、

そのとき、そのような選択を無意識的にしてしまっていたのは、

あるいは、そのとき、わかっていながらも、どうしようもできなかったのは。

 

 

わたしが思うのは「未来には、それさえも”あのとき、あのようなことがあって、ほんとうによかった”」と言っている自分がいるからです。

過去の影を持ったまま、未来を思い描こうとしても、過去が投影された未来となりますし、現在もそのように見えてしまうのですが、

なにもかもを超えたところというのは、自分のすべてを認めて受け入れています。

 

 

運命も、宿命も、すべてを、「幸せの道具」「癒しの機会」と捉えていくことが、内側に原因がある、ということです。

それは、つまり、自分で計画することを、やめる、ということです。

コントロール思考の奴隷でいることを、本気でやめたいという意欲を、持ち続けることです。

作者錯覚から目を覚ますことが、奇跡を受け入れるということでもあります。

 

 

「え?とはいうものの、ちょっとくらい、自分をコントロールして、反省すべきなのではないの?」

という”エネルギー”は、たくさん届いてきましたが、実際にも、届いてきましたが、

どうやら、わたしの役目は、それではないようなのです。

 

 

自分を責めることで、なんとかできると思い込んでいるので、外側をなんとかできると思い込んでしまうし、なんとかできない自分や他者を何度も作り続けてしまうのです。

 

 

あのとき、わたしは、よくやった、と、意味がわからないまま、言いまくります。

 

 

**********

以前、父が、「あなたが、10代の頃、あんなに辛かったのは、自分たちが、世間の目を気にして、社会的な価値観を押し付けたからかもしれないねって、お母さんと話した。でも、自分たちは、よくやってきた。だから、もうやめようって、二人で話したことがある」と、教えてくれたことが、ありました。

 

 

父と母が「自分たちは、よくやってきた」と思ってくれたから、わたしは、今、幸せに、生きているのかもしれません。

 

 

父は、そのように話してくれましたが、相変わらず(それでも以前よりもやわらかくなりましたが)、母は「世間の目」「価値観」をとても大事にしていて、母が大事に信じている価値観を、わたしにも、大事にするようにと、いうことはあります。

今も「条件付けの愛」を、父やわたしに、チラッと、見せてみることが、あります。

とても、満たされていても、足りない、と言ってみたり、するのです。

それが、今は、とても、可愛くて、愛おしいのです。

母が、少女漫画の登場人物の少女のように、見えてきて、そして、少女のようなまま、わたしを育ててくれたんだと思うと、ほんとうに、よくやった、と、おもいます。

毎日、継続して食事を用意してくれたこと、継続は愛があるから、できるもの。

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