自分の心と向き合う
自分自身と一致する
内観、法則、祈り・・
・・これを「新しい自分の心の在り方」として、受け入れてみて、
うまく向き合えてるかどうかのサイン(現象面)でいうと、
まず、絶対に言えるのは(もう、絶対にって断言しちゃう笑)
まわりの人が優しくなります。
「嫌い」「目の前から消えてほしい」「関わりたくない」みたいに思ってた人が「いなくなります」。
この「いなくなる」というのは「その人がどこか遠くへいく」ということではなくて、
自分がその人を見ても、嫌いだとも、目の前から消えてほしいとも、関わりたくないとも、思わなくなる、
ということです。
家族(特に両親や兄弟など生まれ育った家族)は、いい意味でも、悪い意味でも、すぐに反映される・・というイメージがあります。拡大鏡みたいなイメージかもしれません。
一番難しくて、一番簡単なのが、両親兄弟、かもしれないです。
でも、ここで気づきを受け取ると、全範囲でひっくり返るみたいな感じです。
今日、書きたかったのは、
「新しい自分の心の在り方」として、受け入れてみて、
うまく向き合えてるかどうかの「自分の変化」みたいなところの話です。
最近、クライアントさんから、「一人では、絶対に気づけなかった〜!」「一人じゃ限界がある」という言葉をよく聞きます。
それで、この言葉が、なぜかずっと心に残っているのです。
確か、ちょっと前にアップした、クライアントさんからのお声の記事・・
「なぜ全然変わらないままなのか気づいた」(セッションのご感想)
こちらのクライアントさんも、そうおっしゃっていました。
「一人では、絶対に気づけなかった〜!」「一人じゃ限界がある」ということは、今まで一人で実践してきた、ということでもあります。
最近では、YouTubeやインスタグラムなどで、法則や心やスピリチュアルについての情報を発信されていらっしゃる方もたくさんいますし、
自分と向き合うことについて、わかりやすく紹介されている動画も多いと思います。
動画、本、ブログ、いろいろあります。
そういったものを参考に、学んで、心と向き合ってる方もいらっしゃる方も多いと思います。
それでですね。
動画でも、書籍でも、ブログでも、そういったものを見たり、読んだりして、まず、わたしたちは知的に理解するということをします。
それで、心と向き合ってみます。(実践編です)
このブログでも、書き出ししたり、そのままの感情を感じたり、どんなエゴも抵抗もブラックな考えもそのままに見たり・・ということを、おすすめしております。
鏡の法則、というところも、なかなか、文章では限界があるな、私も動画してみたいな・・などと感じつつも、クライアントさんの体験談に助けられ、読者の方からも「気づきを受け取った」というお声をいただいてきました。有り難き幸せです、本当に。
最近の鏡の法則のクライアントさんの実践の記事:「超高級指輪でプロポーズされた人」を鏡で見るの話
それで、このブログでもいいし、このブログじゃなくてもいいのですが、
心と向き合えてると「一人じゃ無理だ」ということに、あるとき、気づくものなんだ、ということです。
この「一人じゃ無理」というのは、
(1)実際に、発信者、教えている人に、会いにいきたくなる
ということもあるでしょうし、そうじゃない場合は、
(2)例外なく、いろんな人を「あなた=わたし」でみまくって、すべての人と、奇跡・幸せを共に受け取る、喜びを分かち合う、拡大させる・・
ということもあるでしょう。
(2)の場合でも、自分自身の真の自己との一致が深まってくると、
「一緒に心と向き合う仲間を必要とする、学びを深めるための仲間を必要とする」ということは自然な流れのようです。(これは、また、話をぶっ飛ばせて書きたいことがあるので、また今度・・)
それで、わたしの場合、という話でいうと。
わたしは昔、外に出るのも、人に会うのも、とてもこわくなっていた時期があって、そのとき、一人で自分の心と向き合っていたことがあります。
わたしの場合は、誰かお友達に、自分の心を打ち明けて、相談に乗ってもらう、お友達に助けを求める、ということが「うまくできない」感じだったし、当時は無職で収入もなかったので「カウンセリングやヒーリングを受けに行く」ということもできませんでした。(でも、仕事をしだしたら、真っ先に行きたいとは思ってました)
今思えば、この時期というのは、とても贅沢な時期、「神様と私のふたりきり」の、とてもスウィートなときだった・・なんて、思います。
すると、わたしの場合も、
なんか楽しいことをしたくなりました。
外に出かけたくなりました。
人に会ってみたくなりました。
実際に、誰かが自分に会いにきてくれたり、母や祖母が縁を繋いでくれたりすることもありました。
そうやって、行動範囲や人との関わりが、少しずつ、優しく、広がっていきました。
そうこうしているうちに、自営業(といっても、最初は今とは別の業種ですが)をはじめて、たくさんの奇跡を受けとってきました。
心で決めていた通り、このころは、収入のほとんどを、心・スピリチュアルの学びに使ってました笑
でも、すごく楽しかったな〜。
ヒーリングはたくさん受けましたし、今でも大好きです。ヒーリングって、わたしにとっては、「病んでるから受ける」とかじゃなくて、喜びを分かち合うために受けるものって感じです。
直感には、かなり忠実に従ってきました。
わたしの場合は、直感に従う場合、「お金のことが気になる」と何度もなりましたが、何度も直感に従って、何度も行動した結果、言えることは「直感に従う場合、お金は”神聖な領域”がすべて手配する」ということです。このように、心から言えるために、今までの経験があったのかもしれません。
自分がすることは、自分の人間の計画を、直感や神聖な領域に押し付けて、貯め込もうとしたり、増やそうとしたり、安いものを探そうとしたり、なんとかしようとしない、ということです。
わたしの場合は、「自分と向き合って、完璧な、善き人間になったら、社会に出ることができる」というようなことを、思っていたように思いますが、でも、そうじゃないんですよね。
自分と向き合うことで、わたしは、わたしのままで、そのままで、
人々や社会に優しく押し出されたというか、出たくなったというか、そういう感じでした。
それで、わかったのは「人間や人間関係は苦手だけど、人々の、誰の奥にもある真の自己とわたしは繋がりたかった、溶け合いたかったんだ」ということです。
「なぜ全然変わらないままなのか気づいた」(セッションのご感想)
この記事の方もおっしゃっていましたが「一人じゃ限界がある」と言いたくなるとき、
それは「一人では限界があるということが真の理解として、気づきとして訪れたとき」
ということで、これまで、自分の心と向き合えてきたし、それをすべて神様は知っていて応えてきた、ということでもあった、ということです。
だから、誰かに会いに行きたくなったし、行動したくなった、ということです。
わたしも、誰かに会いに行きたくなったし、行動したくなった、という感じで、自然と動いてました。
あ〜!やっとスッキリした。
気づきを、ありがとうございます。