セッション(継続コース)では、
例えば・・
・依存関係、依存体質
・執着の苦しみ
・コントロール欲求、期待、思い通りにしたい苦しみ
・誰にも言えないような罪悪感
などなど、この辺りを、とても、丁寧にみていくのですが・・。
最近は、この「苦しみ」のひっくり返りなセッションが続いていて、
わたし自身、すごく感謝しています。
苦しみって本当に才能、能力、光なんだということを、
頭の理解だけじゃなく、
「わたし個人一人」とかの体験だけじゃなく、
何人ものクライアントさんが、それを、見せてくれて、わたしのなかの確信がどんどん深くなっていってる感じです。
例えばですが、
あることに罪悪感や、過去の悲しみの経験を持っていて、それを投影して、大切な誰かとの関係で苦しんでいた、という場合。
この「罪悪感」「過去の悲しかった経験」って(影)
それはそのまま才能、能力(光)で、
その裏に神が待ってる感じなのです。
それで、ここでいう、「神」とは、言い方を変えると、法則性、創造性、ということもできて、
具現化の力、成就の力、ということができます。
この能力を、エゴに捧げてしまうと、
罪悪感の道具になったり、自己否定の道具になったりします。
神に捧げると・・
それは、愛、奇跡、癒しの能力だったりします。
ここで、よくあるのは・・・
例えば「恋愛結婚」が願いだった場合、
先に、仕事・お金・身体・その他の人間関係、が、フィールドチェンジしていくことが多くて、
これを「不満」と捉えると、それが悪いとかじゃなくて、奇跡の受取拒否となります。
けれども、
「恋愛結婚は、動いてないけど、仕事・お金・身体・その他の人間関係などが、変わってきてる・・」
ということを、今、フィールドが変わってきてる、
過去の自分(自己否定の幻想)から、本来の自分自身に一致してきてるんだ・・
と、受け入れると、
その、土台というか、フィールドは、本当にふかふかに整って、
愛に戻った自分と、愛に戻ってるパートナーと、出会う(あるいは再会する)
という感じなのですが。
この待ち時間の間に、その「才能」を自覚して、磨いていって(磨くというか純化するというか)
その「才能」を使って、
仕事もそうですが、恋愛結婚にも、(他の何にでも)、その光を輝かせていく・・
という流れが、どんどんきてます。
これをセッションで、こんなにもシンクロしてるのが、すごく嬉しくて・・
でも、このとき、多くの方にとって「壁」となるのが、
その、自分の才能を、自分で、
・つまらないもの、なんてことないもの
・恥ずかしいもの
・悪いこと、よくないこと
・偽物だと思う
・・・と、自分で自分の感覚、光、愛、神聖性を疑っちゃう、ということです。
けれども、この才能を自覚することで、その能力はますます増幅されるというか、そんな感じになるので、
自分もみんなも世界も、もっと幸せに、のびのび、自由になる。
幸せで、のびのびして、自由な自分とパートナーの関係性、
というのが幸せなパートナーシップでもあります。
それで、例えば「一番の願いである恋愛結婚」と「才能、能力、光」を分けて考えないこと・・
というか、「一番の願いである恋愛結婚」と「才能、能力、光」この二つは、繋がっている、切っても切り離せないものである、
と、認識するだけでも、かなり時間の短縮になります。
なんだか、すっごく、ワクワクです。