わたしは完璧だし完璧ではない

わたしは、完璧ではない。

というのは、完璧になろうとしていたわたしにとっては、とても、心が落ち着く言葉でもあります。

わたしも、全然「エゴの中に入る」みたいなときは、あって、そのときのわたしの「自己否定の面積の大きさ」というか、脳内有罪判決っぷりは、全米が泣くのではないかというほどですが、

「あなたは、本当は、そうではないよね」ということを、心の奥で知ってくれている誰かが、わたしの自己否定・罪悪感ぷりを、笑ってくれると、すごく、嬉しいというか、安心するというか、一緒になって、吹き飛びます笑

心配されたり、オロオロされたりするよりも、笑ってくれる方が、助かる。

 

この、自分の自己否定・罪悪・恐れにハマったときのエネルギーというのは、ほんとうに、周囲に影響することを、身をもって学んできたし、エネルギーが感じられるようになってさらにその理解が深まったので、

今でも、自分の自己否定が出てきたら、罪悪感が出てきたら、すぐに気づくようにしています。

 

わたしは完璧である。

これは「エゴが完璧である」ということではなくて、ほんとうに、そのままでよかったんだ、ということです。

去年か一昨年あたりから、すっごく、セッションをしていてよく出てくるのは「そのままでいいよ」なのです。

もちろん「外側に原因」の癖が、なかなか、抜けにくいということはよくあるし、意外といろんなところに落とし穴みたいなところはあるので、法則というか全体像的なところを解説することはありますが、ほんとうに「そのままで、尊くて、素晴らしい存在」なのです。

それを認めて、すべて、ゆだねる。

エゴの完全なる敗北を認めて、完璧な存在が完璧な愛によって完璧に全てを用意してくれるというこの簡単、シンプル、確実に、まるごと、ゆだねてしまいます。

「まだまだ、勝負を続けていたかった争い」は、あっさり終わってしまう。

「まだまだ、戦いを続けていたかった脳内戦争(葛藤)」も、あっさり終わってしまう。

これを、わたしたちは、とてもとても、イヤだと思い込んできたのです。。。笑

 

 

たしかに、なんというか、「もう、頭の中で、エゴの声が大音量で大騒ぎ」みたいなことは、わたしにもぜんぜんありますが、練習していくうちに、だんだんと、小鳥のさえずりのようになってきます。

そういえば、あるクライアントさんが、あるとき、「マーラが、この辺りで、ピーチクパーチクうるさい」という表現をしてたのを、今、思い出しました。これは、いい表現ですよね。

わたしもですけれども、わたしたちの多くは、頭のあたり、耳元あたりなどに、鳥を飼っています笑

 

 

それは、だんだんと、リゾート地で、ゆったりとくつろいでいるときに、遠くのほうから聞こえてくるカモメの鳴き声、みたいになってくるでしょう〜。

 

 

わたしたちは、カモメを追いかけて、捕まえて、なんとかしようとする必要は、ないのです。

「カモメを消す」「わたしのカモメを捕まえて改善する」など、する必要は、ないのです。

すでにすべて用意されていて、それを受け取るために、今は、じっくりと、トリートメントを受け取ることが重要なのです。

ゆったりと、心地よさを、内側の奥から感じて、味わっているうちに、カモメの声は、カモメの声だと、わかるように、なってきます。

たとえ、カモメに気を取られすぎたことがあったとしても、いつでも好きなときに、「ああ、わたしは今、ここで、こんなにもくつろいでいて、幸せである」ということを、味わえるのです。

見たこともないような美しい景色を、薄目を開けて、眺めながら、今にも眠りそうな、どこまでも広がるような、なめらかな感覚が内側から広がっているのを感じていると、だんだんと、わたしは、そのままでよかったことが、思い出せてくるようです。

 

 

わたしたちは、人間として、確かに、得意なところ、不得意なところ、できるところ、できないところは、ありますが、その凹凸を、どちらも、ああ、わたしだなぁと、そのままを見ていくと、そのままがいいと、言ってくれる人が、現れます。

 

 

自分に、この内側からの心地よさを、無条件に与えてあげることを、今日もまた、ゆるしてあげます。

自分が自分に与えるエネルギーが、そのまま、外側に、現象として、誰かとして、出来事として、形として、体験として、現れます。これも、鏡の法則です。

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