こんにちは。ringoです。
ブログの更新頻度が落ちていますが、日々、たくさんの奇跡、癒し、気づきを、受け取っていました。ありがとうございます。
【doじゃなくてbe】
これは、スピリチュアルや自己啓発がお好きな方には聞き慣れた言葉かもしれません。
わたしのまわりでも、経営者さんとか、このことをとても大事にしている感じがあるというか、ビジネス系(?)では、年々、この、「音量」みたいなものが大きくなって、常識になりつつあるような気がしています。
企業にお勤めのクライアントさんとのセッションでも【doじゃなくてbe】のお話が出てきたりして、盛り上がってました。
【doじゃなくてbe】これは、精神世界・心・スピリチュアルなどの視座を受け入れていくにおいて、そして「完璧な幸せ、対極のない、永続する幸せ」を毎日受け取り続けていくにおいて、欠かせないことです。
「do(する、なる)」ではなく「be(ある)」
どうするのか?何をするのか?どうしたいのか?どうなりたいのか?何になるのか?
ではなく、
どうありたいか?どうあるか?心の在り方
に意識を向ける。
「どうすればいいの?」ほど、どうしようもなくなるための問いはないのです。
幸せになるとかじゃなくて、すでに幸せであることを受け入れる(受け入れたいと心から望む、望み続ける)、幸せであり続ける(そうありたいと望み続ける)ことに意識を向けないと、
一生「幸せになりたい(=正直いって、今のままじゃ不満足です、と思ってます)」と言い続けることになります。そんなこと不可能だからこそ苦しいのです。
欲するものを見ることになるというのが、原因と結果の法則でしたね。
しかし、この「どうすればいいの?」というのは、エゴの思考体系そのものなので、誰だって、「どうしたらいいの?」が浮かぶことがある。(じゃないと、”ここ”で”人間生活”してません)
「どうしたらいいの?」という考えしか、浮かんでこなくなることは、誰だってあるのです。
わたしだってそうです。(ここは、問題視したり、自分を責めたり、見下したり、深刻になったり、してる場合じゃないですよ!笑)
だから、わたしは「どうすりゃいんだ」という心の独り言に気づくことができたとき、心の方向を変えてもらう機会だとすぐさま思い出し、神様に委ね、奇跡を受け取っています。
もう、長い間、マニュアルとか、方法とか、やり方とか、そういったものを、探し続けてきたと思うのです。
それで「へ〜!なるほど〜!」みたいに、好奇心が満たされる、とか、良い情報を獲得した快感、みたいになることはあったかもしれません。
というか、わたしには、このような経験があって、あるとき、これは「依存症と同じ状態じゃん、わたし」と気づいたことがあります。
いまだに何かを探し続けているとか、どうすればいいんだろうとか、やり方がわからないとか、何か方法があるはずとか、もうずっと探し続けているのであれば、
【doじゃなくてbe】らしい、ということを思い出すときがきているのかもしれません。
ただし「完璧な幸せを望んでいるのであれば」です。
「不幸がありつつの幸せ」とか「やがていつか終わりが来る幸せ」とかじゃなくて
「完璧な、一点の曇りもない、永続的、恒常的な幸せ」です。
「いや、でも、わかる、どうすればいいの?やり方は?方法は?ってなるの、わかる」と、2018年から思い続けてきました。
実際、わたしも、真の自己への入口は、「どうすればいいの?やり方は?方法は?わかりやすい説明は?」だったように思います。
それで、ブログにも「どうすればいいかというと」とか「やり方、方法」などの言葉を使ってきました。
どうすればいいかというと。その方法はというと。
愛し愛されるために、完璧に幸せであり続けるために、何もする必要がないし、何者にもなろうとする必要がない、ということを、学ぶしかないのです。
わたしは・・
愛し愛されるために、完璧に幸せであり続けるために、何もする必要がないし、何者にもなろうとする必要がないということを、自分はわかっていない、わからないことにしてしまっているようなので、どうかわからせてほしい、思い出させてほしい・・
自分が何もする必要がないということ、何者にもなろうとする必要がないということ、自分の力でなんとかしようとしても苦しみと罪悪感が増すだけだということを、自分はまったくわかっていない、わけわかめになっているようなので、神様、どうか、このわかめを全て取り消してください。あなたの優しい光で隅々まで照らしてください。
と、何度祈り続けてきたことか、という感じです。
それで、どうやって、わからせてもらえるか(学ばせてもらえるか)というと、
あるときは、とっても幸せで優しい奇跡の体験、あるときは、驚きと喜びな奇跡の体験によって、です。