「本当の私じゃない私に気づいた」ことについての私自身の体験談について、
ブログに書こう、と下書きを作っていたら、ちょうどグループレッスンに参加してくださってる方から「本当の私じゃない私に気づいたringoさんの体験談を聞きたい」というコメントをいただいて、そのタイミングに感動しました。
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今から書く話は、個別セッションやグループレッスンなどで、話したことがある話でもあります。
個別セッションやグループレッスンなどで、そのときの流れによって、わたしは自分の体験談をお話することは、よくあります。
でも、全てのセッション、グループレッスンで、全く同じ内容をいつも話しているわけでもなく・・・。
そのとき、一番ぴったりなものというか、その流れに沿ったものを、話しています。
同時に、わたしはあるときから、ブログに、以前よりも、自分の体験談を書かなくなってきました。
その理由は、
・「わたしのプライベートの体験談」だと、やはりどうしても、わたし以外の方の個人情報、プライバシーが関わるということ。毎回許可を取れるわけでもないし、ブログ上に公開されることをその時点において嫌だ、抵抗があるという方もいらっしゃるということ。そして、そういった個人個人の気持ちは、尊重していきたい、ということ。
・それで「わたしのプライベートの体験談」を、一部ぼかして、書こうと思ったこともあるのだけれど、それだと、やはり、「魂が乗らない」というか、うまく書けないことがよくある、ということ。
などです。
でも、個別セッションやグループレッスンなどでは、わたしの中で大丈夫な感覚を受け取っている体験談に限りますが、結構、のびのびと、お話させていただいておりますし、聞きたい、と聞いてくだされば、喜んでお話させてもらっています。
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それで、今から書く、「本当の私じゃない私に気づいた」ことについての私自身の体験談は、「登場人物」がわたしひとりでもあるし、ブログにも書こうとしていたことです。
でも、なんだか、うまく書けず、数日間、下書きしては、書き直して、ということをしていたところでもありました。
それを、ちょうど、グループレッスン専用ページのコメント欄に、「本当の私じゃない私に気づいたringoさんの体験談を聞きたい」とコメントを寄せてくださった方がいて、
その私の返信の内容を、ほとんどそのままに、こちらに掲載することにします。
なんというか「聞きたい」と言ってくださったことで、ここ数日、「書いては消し」としていたところが、のびのび、スルスルと、文章が出てきました。
本当にありがとうございます。
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エゴの自己定義、エゴが「これが私なんだ」と言ってるのが、「本当の私じゃない」と気づいた、私の体験談について。
わたしは、長い間、自分のことを「病んだ人間、依存体質の人だ」みたいに、思い込んできました。
そして「依存体質である私」ということについて、私は、「どこか、故障しているような、欠陥しているような」そんな感じを、感じていました。
実際、10代の頃は精神病院で診断(と言っても病名が定まらず、とにかく休みが必要みたいな感じでした)・治療を受けたことがありましたし、
自分で自分の不調について調べていく中で、「依存、共依存」のチェック項目には全て当てはまるのではないか、という経験も過去にはありました。
それで「そんな自分を治したくて」、治療を受けたこともありましたし、心理学では、特に、依存・共依存などについて学んできました。
・・・もう、10代くらいから、ずっとこんな感じで「私は病んだ存在、依存体質である、依存体質=欠陥している」という信念を、「握りしめてきた」のです。
そして、あるとき・・これはここ数年以内の話のことです。
内観をしているとき、祈っているとき・・・
強烈な罪悪感、無価値感などと直面し、その感覚に飛び込んでいっている・・
・・・そんなようなときのことです。
「それをもう、手放しなさい」という”声”が響きました。
このときの「それ」というのは、
「私は病んだ存在、依存体質である、依存体質=欠陥している」という信念
のことでした。
「これを自分だと言い張るのは、もう、やめなさい」「その握りしめてきた信念を手放しなさい」ということでした。
正直、わたしは一瞬、恐ろしくなりました(笑)
「私は病んだ存在、依存体質である、依存体質=欠陥している」というのを手放してしまったら、つまり、これを自分じゃないと受け入れることは、なんというか、
「実際問題、私は、罪を犯した囚人なのに、正当化して、脱獄しようとしているようなもの」
というような感覚がしていたのです。
・・そんなこんなで、手放すのに、数日くらい(?)かかりましたが、手放しました。
手放したら「それがわたしじゃない(自分で自分だと言い張ってきた自分だった)」ということが、はっきりとわかり、
なんというか、鎧を脱いだような、軽やかな感覚になりました。
その後、どうなったかというと、「依存体質、依存関係」ということについて、
以前はどこか、(自分に対しても、世界に対しても)裁きやコントロールの感覚があったのですが、それが全くなくなりました。
依存ということについて、冷静に、見ることができるようになりました。
そして、そうしているうちに、明確になってきたことなのですが、「依存体質、依存関係」というテーマを持つ方というのは、ものすごい才能を持っていて、浄化によって、それは美しく発揮されていく、自然と開花していく、ということです。
この「ものすごい才能」が、具体的になんなのかについて、ここに書くことを、正直、迷っています。
その理由は「お楽しみ」にとっておいて、わくわくを膨らませる方が、なんだかいい気がしたから、という、ただそれだけです。笑
特別に何かをしなくても、「私じゃない私」と同一化していたことにまずは気づいて、ただただ正直に自分を認めていって、愛に戻っていく、光に戻っていく中で、
自然と、開花します。そういうものです。
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