恋愛がなかなかうまくいきにくい、とか、
パートナーとの関係や夫婦関係がうまくいってない感じがする、というとき。
それで、内側に原因で、自分の何を映し出しているのか、鏡の実践をしてみたいのだけど、なんかうまくみれないなぁ、みたいなとき。
「相手の気持ちはわからない」
と、心の中で、思うようにします。
これを、
「相手の気持ちを考えそうになったとき」
「相手の気持ちが気になったとき」
「相手の本当の気持ちを知りたいと思ったとき」
あるいは、
「相手はなんてひどいこと言うんだろう、と思ったとき」
「相手はこう思ってるに決まってる、と思ったとき」
に、何度も何度も、心の中で、
「相手の気持ちはわからない」
と思い出してみます。
相手のほんとうの気持ち、相手の背景など、わかるわけないし、わかったところで、わたしはなにをしたいのかしら?どんな気分を味わいたいのかしら?
相手の気持ちがAかもしれないしBかもしれないとき、わからないものを、わからないままにしてみると、どんなこわいことがありそうでしょうか?
というか、どうして、相手の気持ちをわからないことにしたほうがいいのでしょうか?
「わからない」って、ほんとうは、最高にすばらしい、状態だからです。
「わからない」って、今まで出会ったことのない、ということです。
だから、現れている。だからこそ、出会うようになっている。縁がある。
「わかりたい」という気持ちが悪いというわけではないのですが、これが強くなりすぎると「すでに知っていることへの執着」「押し付け・決めつけ・思い込み」となります。
わからない相手だからこそ、対話が必要なのです。だから、出会うのだし、縁があるのです。
愛に戻るために、家族になるようなものです。
これは、いわゆる、「素敵な意味」でも「未浄化なものが色々出てくるかもしれませんという意味」でも、です。
わからないものを、わからないままにしておく。
そして、内側と向き合った上で、相手と対話する、関わっていく、って、とても素敵なことです。
もうですね。
「好きな人から嫌われている感じがする」は、そのまま自分が自分を嫌っている、ということです。
「好きな人が冷たい感じがする」は、そのまま自分が自分に冷たくしている、ということです。
「きっと相手は怒ったに違いない」は、そのまま自分が自分に怒ってる、ということです。※もちろん、現実的に考えて自分が悪かったというようなときは、普通に非を認めて謝ったらOKです。
「相手が自分の考えを押し付けてくる」は、自分も相手に考えを押し付けている・押し付けたいと思っている(自分の方が正しいと言いたいという自己証明)ということだし、これはもっというと、自分が自分に考えを押し付けている、ということです。
「相手から見下されてるように感じる」というときは、そのまま自分が自分を見下しているとき、です。それで「わたしを見下すように、このセリフ読んでね」と、そのセリフを読ませているのは、自分なのです。
相手を見下してしまうときも、それで、悩むなら、それを、問題と感じられるなら、自分を見下しているときです。つまり、もう、自分を見下すのはそろそろやめて、という心の奥の魂からの叫びなのです。
相手を疑ってしまうときも、自分を疑ってしまっているときで、これも、本当の自分と出会うときです。
非常に困難に感じる場合は、家系で抱えているもの(子供、父母、祖父母、曹祖父母・・・)、というのがある可能性大です。
その場合、こういう話を知ってる側が、このように自分と向き合って、自分(エゴ)の全てをゆるすだけでも、全然変わってきます。これは、”こちら側だけ”でもできます。(プロの助けは借りたとしても)
家族や誰かに、勧めたり、一緒にしてほしいと頼んだりする必要はないです。
そうしたい場合は、一度立ち止まって、心の奥の自分の声に、微かな、小さな、優しい、繊細な自分の声に、耳を傾けるときです。
相手が考えてることを、無理やりわかろうとするより、「わからない、楽しみ、ワクワク」と思ってみる。
思えない場合は、自分と向き合う・自分に問いかけてみる・祈り、ということをして、おそれの浄化の機会だと捉える。
自分がなにを、おそれているか、安心して、みて、大丈夫なので。
それは、すべて、悪夢で、悪夢から、幸せな夢に変わるとき、というのは、大抵「わからない」が登場するものです。
さみしいまま、強行突破しようとしても、うまくいきません。必ず、別れるとき、離れるとき、はきます。
本当の自分の声を無視したまま、強行突破しようとしても、うまくいきません。必ず、別れるとき、離れるとき、はきます。
「この人、なにを考えているのか、わからない」だから、縁があるのです。
(上級者、または、もっともっとたくさん運気をあげたい人向け)
このワークを、ありとあらゆる人で、とりあえずやってみると、「無意識的に相手に投影しつづけていたもの、思い込み、決めつけ、ジャッジ等々」が、どんどん、剥がれ落ちていく、どんどん、解放されていく、と、思います。
たとえば、あなたが「飲食店で働いている人」だとして。非常に感じの悪いお客さんがきたとしましょう。
まず「非常に感じの悪い」は主観です。店内で店員全員が「あの人はちょっと珍しいほど感じが悪いねえ」だとしても主観です。
そして、それに自分が反応したのは間違いないですし、反応した、ということは自分の中にそのデータがあった、ということです。
だから引き寄せあった、ということです。ただそれだけです。
そして、なぜ、その人が「非常に感じが悪いのか」というのは、わかりっこありません。
もしかしたら、普段はその人は「とてもいい人」かもしれないけれど、パートナーから浮気され、家を出ていかれた後だった、かもしれないのです。
あるいは、無理をして働き続けて、ほとんど鬱のような状態で、自分がみんなに感じがいいとか悪いとか、自覚を持てないほどなのかもしれません。
わかりませんよ。わかりっこないのです。わからないのです。
しかし、この状況を引き寄せたのは「わたし」だし、それが気になったのも「わたし」だし、それは「わたし」が「わたし」をゆるす、愛に戻る、とき、というだけです。
つまり、本来の自分に戻る、本来の自分の感覚で、ほんとうに自由に、行きたい方向に行く、ということです。「目覚め」みたいな感じになる方もいらっしゃると思います(笑)
わたしは、2010年頃?から数年間、このワークを特に力を入れていた時期があります。
このお仕事をさせていただく上で、あまりにも、重要だからです。
「わかる」というのは、既知への執着でもあります。
※感情の浄化も終わって、どんどん愛に戻る・戻り続けてる方の「わかる」は、また違った意味での「わかる」だったりして、それはそれは、とても優しくて繊細な、まるで天使の羽のような、わかる、だったりします。