「神様、助けてください」で焦りや不安が膨らむパターンについて

神様!結婚できるように、なんとかしてください!とか

神様!貯金残高が微妙で老後が不安なので、なんとかしてください!とか

神様!どうしてもやってみたい誘いに乗ったら、今月ピンチになっちゃうので、なんとかしてください!とか

 

 

神様!

(なんとかするという意味で)助けてください!

 

こうなってる方、いらっしゃったら、

ちょっと、立ち止まってみてください。

 

 

これって・・

神様、これが問題です(わたしは、わかっています、わたしの見方は正しいのです)

そして、こんなふうに解決してくれたら、わたしは幸せになる、それが最善です(わたしはわかっています、わたしの見方は正しいのです)

つまり、神様より、わたしの方が、わかってます。

わたしよりわかってない神様、あとよろしく。なんとかしといて。

・・・こんな感じになってるって、ことです。

 

 

・・・これって、(自分のことも見下しているかもしれませんが)神様を見下している、ということになるの、お気づきになりますでしょうか。

 

 

なんというか、パワハラ上司が部下に、具体的な情報共有も、普段からの心通い合うようなコミュニケーションも何もなく、朝出社した途端、睨みつけて「おい!これ!今日中になんとかしてこい!何度言ったらわかるんだ!!」と、丸投げみたいな・・・・

これが「神様に対して失礼であり、処罰に相当する」という話ではなくて(神様は無条件の愛なので裁きも処罰もご存知ないです)

これだと、自ら、神様からの無条件の愛、奇跡を受け取り拒否したい、と祈ってる、祈ってるというか自分を呪ってるような感じになるのです。

なんとかする、って、問題視マインド、闘うマインド、サバイバーマインドなので、このマインドの部分が浄化、解放、癒しを受け入れない限り、

「問題が続く」とか「なんとかしたい感じが続く」とか「焦り不安が日に日に強くなる」とかなります。

 

 

助けてくださいって、本当の自分自身を思い出させてください、みたいな感じでもあります。

 

 

祈りは、

「この問題をなんとかしてください、こういう感じで解決してください」と「わたし、わかってます、神様より正しいし、わかってます」と、するのではなく、

わたしは何もわからないし、(幸せではないということは)自分の見方が間違っているということを認めます、ということを受け入れて、

自分で自分を導くのをやめて、完璧な神様に導いてもらうことを望みます。

ということです。この心の向きになって、まっさらになったところに、神様の光が現れ、奇跡を体験することになります、必ずです。

 

 

神様

わたしには、これが問題に見えて仕方がありませんでしたが、それは、わたしの見方が間違っている、ということなんですよね。

わたしは、自分で問題や解決策、こうなったら解決だという結果を決めつけて、これ以上焦りや不安を増やしたくないです。これ以上、同じような苦しみを繰り返したくないです。

自分の力でなんとかしようとして、苦しみを増やしたくないです。焦るのも不安になるのも、もう苦しいです。

わたしは、今、自分がどう応じていいかわからないということ、自分が何も判断できないということ、わたしは何もわからないということに、心を開きます。

そして、今、すべての結果をあなたにゆだねます。失敗を知らない完全無欠な存在であるあなたにゆだねます。

あなたは、わたしに、「本当の自分自身とは完璧に守られていて、こんなにも愛されていて、無条件の愛と幸せにふさわしいのだ」ということを、優しく、思い出させようと、してくれています。

このことを信頼します。

どうか、すべてのことは良きことのためにあるのだということを、わたしが確信していられますように。

導きに感謝します。ありがとうございます。

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