発達障害・〇〇障害

問題を問題視するためではない。

問題はテーマであって、そのテーマは、神に神の道具として使われる。

光を隠して「解決しなければならない悪いはずかしい問題」ってことにしてたのは、自作自演でしかない。

凸と凹は、どちらも、神の芸術作品。

どう考えても、神は神でしかなく、すべてのひとのハートの奥に、

必ず同じように不変不滅永久であり、

これは、教祖様でも、王様でも、人間様でも、ありません。

「わたしは、この人に、わたしの心を映しみてる」ことを、何度も何度も、慣れるまで、思い出す。これ慣れてきたら「真のライトワーカー」でしかなくなる。

神は、自分自身のハートの奥に、いつもある。ほんとうは、ずっといつもある。

********

発達障害。ADHDとASDとか。それ以外でもアダルトチルドレンでもなんでも。

わたしは、もう一周まわったのか、個性・天才・才能・芸術性、にしか見えない笑

「発達障害」みたいな話は、何年も前から、いろんな人から聞いていて。

というか、わたし自身も、「お医者様!なんか変なんです!どうか、どうかわたしに診断名をください!」って受診して、テストしたら、なんらかの発達障害ってなると思いますよ、わかんないですけど笑

********

もし「発達障害ということがはずかしい」とか「そう言われて腹立ったことがあった」という場合は「罪悪感・恥」=「分離視点、エゴとの同一化」です。

発達障害に限らず、アダルトチルドレン、共依存、洗脳、マインドコントロール、嗜癖、などもそう。なんでもそう。

「こんな自分ははずかしい、隠しておきたい」あるいは「そう指摘されて、腹が立ったり動揺したりしたことがあった」という場合は「エゴがエゴのままでいるように、悲鳴あげてる」状態、みたいな。

誰かをそうみてる場合も同じです。はずかしい、かわいそうに、隠しておきたい、などなど、これも「奇跡の受取拒否状態」「エゴ盲目状態」。

発達障害について「言い訳につかう」「誰かを決めつける、裁く、嘲笑う、見下す」などの自分(=エゴと同一化してた自分)を発見できる場合は、すごいことですよ。

こういう自分(=エゴと同一化してた自分)「そのままでいいよ」とか「怒りの手紙」とか「思考の観察、内観」とかが、いいかもしれません。大自然で遊ぶとかも、よさそう。(個人的には、ポノポノファンでもあります)

そのままでいいのよ。OKよ。

********

前に聞いた話なので、曖昧ですが。

「ヨーロッパか、どこだったかの国では、発達障害はすでに個性という見方をしている」みたいな話をきいた、という話を聞きました。ソース不明の又聞き情報です。

********

この前、大好きな芸術家さんが「社会のリズムと、自然のリズムがあって・・・」という表現をしてらっしゃった。

ある時代、急に、経済や社会や教育や、いろんなものが、ぐっと、変わった頃があった。

このとき、リズム感が、ふたつになったというか、コントラストがくっきりなったというか。

白と、黒が、あったとき、片方の絵の具の量がどんどん増えた!みたいな。

社会のリズムと、自然のリズム。

「ランキング、一位二位三位、比較、時間、管理、お金、数字出す、弱肉強食、スケジュール、書類、礼儀、マナー、ああしなくっちゃ、こうしなくっちゃ、お行儀よく、人様の目」

その、メロディーが、「もう、本気で無理なんです」って方や、「本当は本気で無理だけど、我慢強いわよ」って方などが、

もしかしたら。もしかしたら。

アダルトチルドレン、機能不全家庭、発達障害、〇〇障害、コミュ障、不登校、嗜癖問題、そのたもろもろ・・・につながってるのではないか、そういう可能性もあるんじゃないか、なんて、ふと、思った。

ある角度からみたら「大問題」。

でも、ある角度からみたら「光」。

「障害」も「問題」も「異質」も、受け入れたら、その先へ・・・。

そして、社会のほうは、すでに合わせてくれようと、どんどんしてくれている。

インターネットさんのおかげで、どんどん、受け入れられていってる。

「排除」「搾取」「衝突」「衝撃」「天災」「闇」「悪」「支配」に、

抵抗している自分に気づいて、天国のゆりかごにゆられていたことを思い出すと、その天才性は、循環して、延長して、共有して、全体の平和となる。

********

〇〇障害。心の障害。精神の障害。

アダルトチルドレン。機能不全家庭。トラウマ。

HSP。エンパス。

やまい。

医学。医学。心理学。遺伝子。科学。学術。

過去世。スピリチュアル。

社会。メディア。人々。自然。霊。もの。経済。宗教。政治。家業。

すべては「癒し」のために。「わたしの癒し」のために。「みんなの癒し」のために。

正しい間違いじゃない。

問題を問題視するためでもない。

すべての「教典」は、癒しのために、平和のために。

時代が変わったら、「教典」も変わる。

そして、神の癒しは完璧であり、不変である。

そうやって、差し伸べられていた、すでにそこで光っていた光を、いただく。

東洋医学も西洋医学も。男性も女性も。神仏習合。

ご予約受付中のセッション・クラス

4月のセッション受付状況

※(3月5日更新)3月のご案内が土日祝満席、平日残りわずかです。

4/6スタート!グループレッスン募集開始

  • URLをコピーしました!
目次