承認欲求セットの種明かし・・?(前編)

じゃあここで「わたしはあの頃、ちゃんと涙を流せなかったかもしれない。歯を食いしばって明るいふりをして、頑張るのが、いいことだって、そうやって自分でなんとかすることがいいことだって、思い込んでいたから、ちゃんと涙を流せなかったかもしれない」というときは、どうしたらいいの?というと、

「書を捨てよ、町へ出よう」と浮かんできます。「書を捨てよ」なのです。(寺山修司さんとは関係ないです、ごめんなさい)

「書を捨てよ」ここが肝心、ということは、「(とりあえずなんかよくわかんないけど)書を捨てよう」という意図設定が大事ということです。

 

 

・・と、前回のブログに書いたのですが。

「(とりあえずなんかよくわかんないけど)書を捨てよう」というのは、言い換えると、

「ルール、常識、固定観念、価値観、普通に考えてこうでしょ、こうすべき・すべきではない、これはこういうものだ」などが書かれた「わたし的六法全書」みたいなやつを、是非とも、わたしがわたしの心からの幸せや喜びのために手放したいと思う、ということです。

もうちょっと厳密にいうと、自分が自分の心の中に、「わたしがわたしの心からの幸せや喜びのために、わたし的六法全書を手放したいと望む気持ちが自分の中にあることを、自分が見つける」みたいな感じです。

さらに神経質にならせていただくと、「わたしがわたしの心からの幸せや喜びのために、わたし的六法全書を手放したいと望む気持ちが自分の中にあることを自分が見つけて、それをどんなときも保ち続けたいと望む気持ちが自分の中にあることを、自分が見つける」みたいな感じです。

 

 

なので、実際は、「捨て去る」みたいな、そんな感じでは、ちょっと、ないのですよね〜。

「わたし的六法全書を持っていてはならない!」としたら、「わたし的六法全書(第二巻)」の作成に取り掛かろうとするようなものです。

さらにまた言い換えると「わたし的六法全書が、わたしを幸せにし、安全にしてくれると信じ込んできたようでしたが、学びによると、そして、内観したところによると、確かに、このわたし的六法全書は、わたしの孤独感、寂しさ、孤独になる恐怖などを増幅させるようでした。ですので、わたしはこの六法全書をあなたに捧げ、代わりに、本当の幸せ、本当の喜びを、思い出したいと思います。どうぞ導いてください・・導いてくださりありがとうございます・・」みたいな感じでもあります。

(祈りは「心からのしっくり感」がすごく大事なので、だからこそ、内観が大事、みたいな感じなのですね)

すると、その「わたし的六法全書」は、全く、思いもよらない方法(つまり予測したものがあるなら、それはすべて外れてるということです)で、本当の繋がり、愛や喜びや真の心の繋がりを思い出させてくれる何かとして、神様が使ってくださる、ということです。

これは、とっても、楽しみ、な、ことなのです。

だから、楽しみにしていてよいというか、楽しみにしておくもの、みたいな感じです。

(つづく)

ご予約受付中のセッション・クラス

4月のセッション受付状況

※(3月5日更新)3月のご案内が土日祝満席、平日残りわずかです。

4/6スタート!グループレッスン募集開始

  • URLをコピーしました!
目次