先日、あるボディケア系サロンの広告に「変わりたいという気持ちだけで大丈夫」というようなことが書いてあって、
たしかに、と思いました。
確かに「変わりたい」という気持ちは大切です。
エゴを選び続けたくはない、という気持ち。
不幸を選び続けたくはない、という気持ち。
自分いじめはもうやめたい、という気持ち。
そして、重要なところは「だけで」というところです。
「変わりたいという気持ち”だけで”大丈夫」というところです。
この「変わりたい」という意欲を、内なる高次の力に捧げる。
ここで、わたしたちがよくやってしまいがちかもしれないのは、
「変わりたい」と思ったあとで、自分でなんとかして変えようとすること。
自分で問題を解決しようとすること。
自分で計画を立てて、なんとかしよう、大丈夫なようにしよう、とすること。
解決策や「願いが叶う方法」などを調べて
なんとかしようとすること。
あるいは「できない、できない」と、行き止まりな感じになったり、諦めたり、することもあるかもしれません。
(できるかできないかではなくて、何を望むか?が大事なところです)
なんとかしようとするのも、「できない」とジャッジしたままでいることも、苦しみを生みます。
あとは、これは、本当によくあることで、でも、すごくすごく見落としがちなこととしては、
「外側の誰かや何かを変えたい」という誘惑に耳を傾けちゃうことです。
これは、なかなか、自分で気づきにくいものです。
「外側の誰かや何かを変えたい」と思うこと自体に罪悪感を感じて認められない、という場合もあるかもしれませんが、
気づいたら、それを「選ばない」というだけです。
爽やかに、軽やかに、エゴを認めて、選び直していきたいものです。
自分でなんとかしよう、変えよう、解決しよう、とすることは苦しみを生みます。
「解決しなければならない問題」が次々発生するように思えてくることもあるかもしれません。
「変わりたい」という気持ち。
もうこのループは終わりにしたい
もうこのドラマは終わりにしたい
不幸ではなくて、本当の幸せを選びたい
・・・という気持ち。
この意欲を、大いなる存在に捧げていく、ゆだねていく・・・ということが大切です。
大いなる存在が導くので「できるかできないか」とか「何がどうなって」とか、そういう「自分の頭、判断を超えたところ」は、おまかせしていく感じです。