内観について

内観、内側をみる、ということについて。

 

 

内観は、今の自分の内側で起きていることに気づいて、それを、そのままにしておくか、別の選択をするか、選ぶ、みたいな感じです。

自分の心の、自然な働きを感じながら。するする〜っといく感じでもあります。

 

 

そのままにしておいても、それが、悪いわけではないのです。「そうか、そのままにしておきたいのか」という感じです。

たとえばですが、内側が「@」であれば、外側も「@」、というのが、宇宙の法則(引き寄せの法則、波動の法則。鏡の法則等々)です、というだけです。

別の選択をする場合は、別の選択をしたいという意欲を自分の中で確認する、みたいな感じです。

ご自分の内側にご自分で、意欲を確認することは、意外と大事です。意欲があるって、思ってる以上に、すごいこと、です。

 

 

エゴ(不足、欠乏、おそれ、分離に基づくもの)に気づいたら。

エゴの思考・信念を、疑問視していくなかで、エゴの正体を見破れる→解放される、ということもあります。

エゴは無です。エゴは「本来の自分自身」ではありません。

 

 

困難に感じられる場合。

・エゴをコントロール、ジャッジする必要はない

・エゴの形を変えようとする必要はない

・深刻視、問題視する必要はない

などを、何度も思い出すと、いいかもしれません。

例えばなのですが、「予め、頭の中で”正解”や”誰か”があって、”それを選べないと信じてる自分や反発したいという欲求を持つ自分”がいて、その”それを選べないと信じてる自分”をジャッジ、コントロールしようとしている」ということも、あるかもしれません。

二重、三重のジャッジ、みたいな感じです。この場合も、ひたすら、「どんな自分もそのままでOK」なのです。

 

 

「そのままでいい」という大前提のもと、ただただみる、ということを、何度でも、思い出したいのです。

そのままでいい、どんな自分もOK、ほんとうはわたしは愛そのもの。

だから、別の選択をしたいという気持ちになったときに、すっと、自然と、選べるようになります。

 

 

なので、内観というのは、頭・思考を使うものではないのです。

どちらかというと「考えるな、感じろ」系、だと、わたしは思ってます。

本来の自分の感覚、感性も、磨かれていく・ピュアになっていく、ものだと、思ってます。

予備知識として「この世は内側の反映、投影」ということは、役に立ちますし、「一度、思考を視覚化してみよう」ということで、思考の書き出しやリストアップも、役に立ちます。

ただただ、見つめていくなかで、「あ、そういうことか」となることもありますが、頭・思考を使うものでは、ないです。

 

 

あとは・・・

・恐れがあまりにも強すぎる場合

・パニック状態

・極度のサバイバルモード

・自己否定があまりにも強い状態のとき

などの状態では、内観がうまくできない、ということがあります。この場合、瞑想もうまくできないこともあります。

なぜなら、内観とは、愛とつながりにいくことでもあるから、愛とは対極であるおそれが強すぎる状態では、「内側絶対無理」となるのも無理はないのです。

なので、なんやかんやで内観が苦手・内観よりも外側に答えや情報を探してることのほうが多いかも、という場合は、逆に「自分はおそれが強いのかも」と認めてみると、いいかもです。(関連記事:大丈夫、大丈夫、と言い聞かせたいようなとき

 

 

極度のパニック状態で内観できないというのは、わたしも以前経験があります。

わたしの場合は、このようなときは、内観はお休みして、

・身体のケア(歩く、お日様にあたる等)

・呼吸法(呼吸でオーラをクリアにしていく等)

・環境のケア(ひとりの時間を確保する等)

などを意識してみると、内観や瞑想をできる状態まで落ち着きやすかったです。あと、わたしの場合は、ヒーリング受けるのも、よかったです、でもヒーリングは、個人的にはいつでも大好きなので、ただ好きなだけかもしれません。

・・・この辺りは、人それぞれ・その時々による部分もあると思いますが、これもやはり「自分の感覚を自分が大事にしながら」が一番だと思います。

 

 

この世でとても大切な人(自分)の、心の声を、無視せずに、向き合うこと。ただ、聞いていくこと。

このことは、この世でとても大切な人(自分以外の誰か)も、大切にしていくこと、です。

自分が自分にそうしているように、自分は誰かにそうします。

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