プロセスを促進する技

原因=結果、内側の反映が外側、というのは現実創造の大前提です。

自我の反映が取り消されていくたびに、本来の自分自身とのつながり、信頼、創造性の発揮を体験します。

「心からの幸せ」=「現実的、物理的にも幸せ」です。

 

 

ここまでに、なかなか、時間がかかっている、あるいは、加速させたい、という場合、

プロセスを促進させたいという場合、

「わたしはなにも知らない」

「わたしはなにもわかっていない」

「自分の考え、これまで学んできたこと、過去の経験、記憶を、喜んで脇におきます」

これを思い出してみます。

 

 

あるいは、逆に

「わたしは知っている」

「わたしはわかっている」

「自分の判断、先生・専門家からの教え、過去の経験、記憶を基準にする」

ということを、していることに、気づくことも、大きな一歩になるかもしれません。

 

 

癒されれば癒されるほど、奇跡は体験すればするほど、「自我の思い込み、決めつけ、レッテル、こだわり、自分だけの狭い見方」から自由になっていきます。

「自我の思い込み、決めつけ、レッテル、こだわり、自分だけの狭い見方」や「自分の(自我の)快・不快」という制限から自由になっていきます。

 

 

「自我の思い込み、決めつけ、レッテル、こだわり、自分だけの狭い見方」や制限、牢獄を信じ込む自分を見つけるたびに、その自分をゆるし、解放し、愛に戻していきます。これが浄化です。浄化のあとには体験(奇跡)があります。

 

 

一段一段、その階段を、降りて、深い深い静けさと安らぎへと身を委ねていく。

その旅の中で、完璧な法則性に対して、感謝せずにはいられなくなるもの、賛美せずにはいられなくなるものです。

 

 

「先生・専門家からの教え、過去の経験、記憶」というのも、「(自我の)自分だけの見方、自分だけの解釈」をしていることは、よくあることです。

ここに気づかない場合は「何年やっても実感できない」「たくさん学んで、本も読んでて、知ってるわかってるのに、うまくいかない」となりやすいかもしれません。

そして、さらに「そんなの知ってる、わかってる」と防衛し、無力さを投影し続ける。

自分自身の内側にある神聖さを無視したまま、見下したまま、だと、外側にもそれが投影されます。

 

 

傷つけられた、無視された、裏切られた、利用された・・・

見捨てられた、いじめられた、虐待された・・・

愛されなかった、押し付けられた・・・

〇〇された・・・

このような言葉は、練習できていない場合において、「事実」と思えたり、「感情」と間違えたり、しやすいのですが、これは、どちらかというと、思考であり、判断・ジャッジメントです。

※練習=心の習慣、筋トレみたいなイメージです。

「わたしは傷つけられた被害者であり、あの人は加害者である」ということを持ったまま生きても、それが「悪い、裁かれる、責められる、怒られるようなこと」「ダメなこと、劣ったこと」ではないのです。

 

 

しかし、例えば「見捨てられたということも、自分の思考であり、判断・ジャッジメントにすぎない」と受け入れること、

「わたしがそう見たくて見ていた」「自分が作った」という大前提に戻ることは、

自分の内側に創造性がある、現実創造のソースと自分は繋がっている、その力が自分にはある、と認めることになるので、ここでやっと「現実創造、具現化、引き寄せの法則」のスタートラインに立てることになります。

受取拒否をしてきたのは自分です。

愛が、光が、創造性が、美しさが、溢れ出る祭壇に、ブロックを積み上げてたのも、自分です。

だからこそ、自分で許可できるし、ブロックを退かすこともできるのです。

「親のせい」「世界のせい」じゃないです、この見方をひっくり返すことをしていることを、忘れないようにしたいです。

 

 

「今までは「わたしは傷つけられた」と思ってきたけれど、これさえ、もう判断しません。

今までたくさん学んできた、たくさんのことをしてきたけれど、わたしはなにも知りません。

自分が学んだ、知っている、わかっている、と思っていることを、すべて、喜んで、脇におきます。

そして、完璧な内なる声、完璧なガイダンスのみに、耳をすませます」

 

 

そのようにして、内なる祭壇にある「宝だと思い込んでいるガラクタ」をすべて片付けて、空っぽにすることが、

最高に素晴らしい経験を受け取る準備でもあります。

 

 

・・・でも。

「わたしは知っている」

「わたしはわかっている」

「自分の判断、先生・専門家からの教え、過去の経験、記憶を基準にする」

これを、手放すのは、なかなか難しい・時間がかかることは、多いです。

特に、傍目から見て、もしくは、自己判断で、

「できる人」「頭いい人」「地頭いい人」「育ちがいい人」「アベレージに反抗してきたタイプ」ほど、

「わたしは何も知りません、わかってません」が、先です。サレンダーが先です。

 

 

しかし、こうやって、文章ではぺろっとかけますが、このことを心から認め、喜んで手放す、を受け入れること、これができる人って並大抵じゃないです。

セッションしてると、このような方、場面に恵まれるのですが、これってとってもすごいことです。

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