【動物的直感とインスピレーション】
ふと、
動物的直感、肉体的直感、勘。
と、
インスピレーション・気づきの状態というのは、
全く異なるということを思ったので、書いてみようと思います。
動物的直感、肉体的直感、勘が悪いと言っているわけでは、もちろんないですよ。この世界で「役に立った」ということはあると思いますし、それがいいとか悪いとかの話をしたいわけでもないです。
けれども、この「勘」を、「わかる」としてしまうのは、相手のことも、自分のことも、限定することが、あるのかもしれません。
肉体、過去や未来という時間枠、過去のデータ、「自分や自分が多数派だ、好ましいと思う人々が支持する何かが正しい」という外側基準・・・そういったものが、その、下の下の方に、あることは、あるのかも、しれません。
去年は、ヒーリングの学びを深める一年で、今年はさらに深めていきたいと思っています。
そして、お金や健康(身体)のご相談に対しても、法則を元にお伝えしてきたいと思っています。
【誘惑】
「だってみんながそういってるから」
「そんなのおかしい」
「これはこうに決まってるでしょ、だって・・・」
「そんなの信じられない、そんなわけない」
これに屈しそうになることもまた、誘惑ですね。
外側からの(誰かだったりこの世界だったり)、あるいは、なぜか心の中、頭の中で繰り返される、「これはこうだ」という決めつけ、ジャッジメント、良し悪しの判断。
「そのように思う、判断する、この考えを持っている」と決めたのは自分で、「これを決めたのは自分である」とただ認めることができれば、
その考えを持たない選択・手放す選択・それ以外の今までの自分以上のなにかを受け取る選択をすることができる、ということで、これは朗報です。
ただというのは、ただ「そうか、この考えを持つこと(あるいは、ジャッジすること/決めつけること等)を決めたのは自分なのか」と、実感があろうがなかろうが「へぇ」と認める、という感じです。
「いやだ」とか「違う」というのは、またさらにジャッジメントしている状態(判断を下している状態)ですが、ただ認めるということは、「そうなのかぁ」みたいな感じです。
こんなふうに書いていますが、これは、基本の基、ベースのべ、深い感動の体験、奇跡は、内観あってこそ、です。
基本の基、ベースのべだと、書きましたが、でも、この、
内側をただただ見ていく、浮かんでくる考えや感情に寄り添っていく、認めていく、そして、これを決めたのは自分であるということを思い出し、選択し直す決断をする・・・
これができるだけで、かなりすごいと思いますよ。これができてる時点で、解放・浄化はどんどんすすんでいきます。
そして、これって、心地よいことだし、必ず、おまけのようにして、癒しや奇跡を受け取れるので、続けていきたくなると思います。
なので「100%完璧に浄化しなければならない」というよりかは、どちらかというと「浄化、内観、解放の術を身につける、習慣にする」ということの方が大事なのだと思います。
誘惑、というところで書くと。
例えば、内観したわけじゃないし、「誤ったやり方」や「ただなんとなく」でビギナーズラック的現象を受け取った場合。
これは、本人が気づいて、さらに、認めて受け入れるまでに時差がある、なかなかの、苦しみにつながることも、意外とあるある、なのかもしれないです。(なぜか魔界を思い出す)
【闇】
闇はわたしたち全員にあるというか、そういうもので、だから「自分だけが」と思う必要はないのですよね。
「自分だけが一番苦しい、自分だけが特別に苦しい、この苦しみは誰にも理解できない(と思っていたい)」となる場合もあるかもしれませんが。
向き合う準備ができている、向き合えるからこそ、そういったものが出てきているのです。
すでに具現化した事柄を追いかけたり、それを責めたり、悔やんだり、ここに原因がある気がするのも、また「外側に原因」です。
過去というのも、愛以外のものは、外側をベースにした思考のようなものだからです。「愛の記憶」だけは残ると思います。
そして、その闇に力を与えるか、与えないかの選択ができるのも、自分です。
自分の中にある、自分を苦しめる「考え・常識・判断・正しさ」に気づいて、解放し続けていくことで、たくさんの癒しや奇跡を、受け取っていきたいです。