心からの幸せ、です。
妥協や諦めなどとは無縁の、自然と感謝と喜びが溢れ出てくるような幸せ。
奇跡の体験によって、欠乏感・不足感・疑い・おそれ・罪悪感が洗い流されるような体験(この世界での具体的な愛の体験)です。
その前に、二つお知らせです。
(1)
4月30日から継続コースの内容が変更となります。
もし、現時点での内容で受けてみたいと思っている方がいらっしゃいましたら、この機会にお申し込みくださいますようお願いいたします。
(2)
お祈り3ヶ月コースも4月30日までの受付です。
お祈り3ヶ月コースでは「ゆるし」を深めていくかんじでもあります。
では「ゆるし(赦し)」とは何かというと、これまでのringo blogでの言い方でいうと「ただ見る」でもあるのですが、
「ただ見る」だと、いつの間にか、「厳しいエゴの監視官と共に、ただ見る」となることがよくあります。
しかし「ゆるす」というのも、「人間的な理解」だと理解できませんし、いつの間にか「エゴのゆるし」となることは、よくあることです。
ですので、わたし自身、やはり継続と練習が大切だと思いますし、最近すごく思うのは、一緒に学んでくれる人の存在の大きさです。
わたしもそうですが、一人では、やはり、限界がありますし、どうしても盲点、抑圧、否認を作ってしまうなぁ、と、自分を振り返ってもそう思うし、理論的にもそういうもんだという感じだと思うし、という感じです。
その上で、わからないなりに、練習を続けていると、必ず、体験を受け取ります。
わたしもよくあるので、毎日練習です。笑
それで、ゆるしについて。
奇跡を受け取りたい、と思ったとき。
自然と溢れ出てくる愛、感謝、喜びを感じたい、と思ったとき。
あるいは、祈りたい、と思ったとき。
この「ゆるし(赦し)」あってこそ、みたいな感じです。
奇跡はゆるしありき、みたいな感じです。
奇跡は赦しの自然なしるしである。奇跡を通して、あなたは神による赦しを人々にまで延長させ、それにより赦しを自らに受け入れる。(奇跡講座 T-1.I.21)
なので、ゆるしこそが、本当に大事なのです。
例えば、祈ろう、と思ったとき。
不足感・焦り・おそれ・欠乏感などから祈ってた、というのは、とてもよくあることです。
けれども、これだと、祈りじゃなくて、要求みたいになってしまいます。
このまま「祈り(要求)」し続けていたら、すごく、苦しくなると思います。
祈りには、段階があります。
階段みたいな感じです。
そして、その階段を、安心、優しさ、慈しみ・・そういった感じの中で、ゆっくりと、進めていく感じ。
無条件の愛の存在(内なる聖なる存在)に手をつなぎ、足元を照らしてもらいながら、安心して、ゆっくりと、階段を、進んでいく感じ。(ゆるし)
そうして、ゆるされていく中で、
「不足感・焦り・おそれ・欠乏感・罪悪感・恥」だったり
「要求・願望・獲得したい気持ち・思い通りにしたい気持ち」だったりの奥にあった、
本当の本音、本当の本心と一致するのです。
(参考:中央アート出版 奇跡講座下巻 祈りのうた)
「アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感じ」も、ブレーキが自然と外れ、優しい愛・純粋な心からの喜びからのアクセルとなるので、
自然と、たくさんのギフトを受け取り続けることになります。
わたしは何もしていないのに・・!
ドロドロ・ネバネバばかりみてただけなのに・・!
と、多くの方が、そうおっしゃいます。笑
わたしも、日々、セッションを通して、たくさんの方の清らかさ、麗しさ、そして、奇跡を一緒に見せていただき、本当に、心から感謝の日々です。
ゆるしは、
安心が深まっていく、安心に落ち着いていく・・
楽にしていていいんだ、本当にそのままでよかったんだ・・
そんな感じを「まぐれ」とか「一時的」とかじゃなくて、深められていく感じです。
気になるかたいらっしゃいましたら、ぜひ、ご一緒しましょう。