例えば、
・奇跡を受け取ることができない
・自分を認めることができない
・自分を愛することができない
など「〜できない」というとき。
「できる・できない」という思いが浮かんだとき。
「したいか・したくないか」というところで、自分と向き合ってみると、いいかもしれません。
「できる・できない」というのは、よくみてみると、能力の話のようなものです。
そして、認める力、愛する力、というのは、誰の中にもあるもので、ご自分が「したい、しよう、する」という気持ちを持てば、それだけで十分です。
ジャッジするのではなくて、単に認める、単に受け入れる、愛のまなざしで見る、見ようとする、見たいと思う、みたいな感じでもあります。
どうしても、自分を責めたり、裁いたりしてしまう、という場合は、「無条件の愛の存在」を意識した上で、内観していくと、いいかもしれません。
それで、かなり、深い深いところまでみていくと、気づく方もいらっしゃると思うのですが、
意外と、わたしたちは「奇跡(神の采配)」「たったひとつの愛に戻ること」を、こわがっているところがあるのです。
たとえば「自分の計画(自我の計画)を手放して、奇跡(神の采配)を受け取るのはこわい」とか、
「たったひとつの愛(平安)などではなくて、恋をしていたい。刺激がほしい」などです。
それ以外にも、奇跡を受け取ることをおそれる気持ちを、さまざまな思いに形を変えています。
たとえば、ずっと「人がこわい」と言い続けて、人と関わることを遠ざけているような場合、人がこわい、というのは、愛を受け取るのがこわい、というように、内容をすり替えてしまっているのです。
自分が受取拒否してきたことを受け入れることで、受取拒否することも、受け取ると心を開くことも、選べます。
そして、人と関わることを「奇跡、癒しの機会として受け取らせてください」と祈ることによって、奇跡として受け取ることができるのです。
こわいだけじゃなくて、めんどくさい、の形で現れることも、多いな・・・と、自分を振り返るとそう思います。
「めんどくさい」というとき内観してみると、大抵、「愛、奇跡、光、癒し・・・」などを受け取り拒否しようとしているときでした。
「内容のすり替え」でいうと、自分が拒否しているのに「拒否された」というような、外側に原因があるような形で投影したり、そういった思い込みが拭えない、ということも、よくあるのです。
「もう嫌だ、早く、奇跡を受け取りたい」というような気持ちの場合は、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものなので、
そのような場合は、一度、マイナスに矢印を揃えてから(マイナスの本音と一致してから)の方がスムーズです。
「自分を愛さなければならない、でも、愛せない」というようなとき、「わたしは自分を愛したくない」といってみることで、心がホッとするようなこともあるのです(マイナスと一致していく感じ)
そのほうが、スムーズに、どんな自分もそのままを愛する・認めるという感覚が、掴めてくることがあります。
否認・抑圧しているネガティブ、マイナスの思い(思い込み)を隠しているのは、それを、心の奥で、否定しているから、嫌っているからですが、
無条件の愛のもとでみていくことで、解放されていきます。
あとは、意外と、できてるのに、「できない」というのが「リピート再生されてるテープ」みたいになってることも、あるかもしれません。