自信がある人

これは、電車とか、人通りがよく見えるカフェの席などで、一度試していただきたいのですが。(なぜなら、職場などだと「先入観」がどうしても入ってしまうことがあるからです)

心に耳を澄ませながら、心の平和を感じながら、ジャッジするのではなくて、

「本当に自信がある人は、どんな人?」って見せてもらうと、意外と「自分の判断、当初予測していたイメージ」とは、異なる人を見せてくれる、ということがあります。

こういうのは実際にやってみることに、何か、意味があるものです。

 

 

わたしは、これを、昔、心理学の先生に教えてもらって(あの頃はまだおそれも強かった)、やってみて、見事、打ち砕かれたことがありました笑

「自分の判断、当初予測していたイメージ」といっても、そんな確固たるものではなかったのですが、

昔、人がとても怖い、と言う時期があって、特に「こういうタイプの人が、怖くて、苦手」というのが、なんかぼんやりあったのですよ。

 

 

そして、その「こういうタイプの人が、怖くて、苦手」という人を、わたしは「自信がある人」だと、なぜか思い込んで、「怖い」と思っていたのだけれど、

心の奥の奥を感じながら、心の奥とともに、「本当に自信がある人を見せてほしい」と、行き交う人々を見ていたとき、

 

 

「こういうタイプの人が、怖くて、苦手」に近いタイプ(雰囲気が同じ感じ)の人は「自信がない人」で、

なんというか、そっとした感じの人、でもやわらかな落ち着いた雰囲気の「自信がある人」として、見せてくれたのです。

でも、なんか、すごく、腑に落ちて、一気に解放、というのを、体験したことがありました。

 

 

この話だけではなくて、色々と、逆なのです。

特に、なんか、引っ掛かってたり、滞ってたり、するようなときは、「愛のメッセージ」を見落としていて、「恐れのメッセージ」を信じ込んでるって、非常によくあることなのです。

 

 

もう、わたしたちは、無意識で、自我に「見せてほしい」ってなってる状態においては、

逆さまどころではなく、目が見えなくなっちゃってる状態なのですが、心と向き合っていく、というのは、思考も、思い込み信じ込みも、何もかも、逆になっていく、逆転していく、ということです。

鮮やかに、優しく、暖かく、平和に、ひっくり返っていくのです(暴れん坊将軍様が悪代官こらしめてやった的な感じではないですよ笑)

 

 

自我からすると、愛は、神の体験は、完全に「崖から突き落とされそう」くらいの感じに思える、というのは、よくあることです。そこで静かにしていればいいものを、急いでUターンするって、あるあるなのです。

 

 

または、自我からすると、ふっかふかのお日様とお花の香りのするベッドは、「針の筵」に見えて、「ここに寝ろとは、どういうこと!?」みたいになってしまうことも、よくあることです。

わたしたちは、長い時間をかけて「自我からすると、針の筵」のまわりを、ウロウロし続けている、ということは、よくあることなのですが、

ふっかふかのお日様とお花の香りのするベッドは、ずっと、そのまま、美しい、いい香り、ふかふかのままで、ずっと待ってくれています。

だから、最初は、勇気がいるかもしれません。

 

 

こんなパターンもあります。

自我からすると、「闘牛士の赤い布のひらひらに突っ込むこと」が、「わたしが一番欲するもの」に見えることもあります。

この場合は「わたしが一番ほしいものは、赤いひらひらに突進することなどではなかった」と気づいていく中で、

そして「すでにすべて与えられているのだった」というところに向かっていく中で、さまざまな奇跡を受け取ると思います。

まるで「こっちの道だよ」と教えてくれるようにしてです。

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