自分ではないもの、わたしじゃないものに気づいて、
自分を、無条件の愛と共に、よく見つめていく、認めていく、受け入れていくと、
世界が自分を、無条件に、見てくれる、認めてくれる、受け入れてくれる、満たされる・・・
という体験、奇跡の体験を受け取るようになります。
これは、内側が外側に映し出されている、という鏡の法則なので、そうなります、という感じです。
でも、こんなふうにして、
内観・浄化して、自分が自分と向き合って、一致していくことで、そして、
たくさんの幸せな出来事、内側が外側に映し出されているという絶対的な安心感、を受け取っていく中で、
すごーく満たされるので、
当初の願いはどうでもよくなった、とか、
苦痛・執着・渇望みたいな感覚がなくなった、
という方がほとんどなのです。
内観浄化によって、
「執着を手放しましょう」というよりも、自然とそうなる感じです。
「感謝しましょう」というよりも、自然と感謝が溢れ出てくる感じです。
「わたしは本当は結婚を望んでなかったのかも」とか、
「シングルだけど、今の生活はすごーく充実していて、パートナーはいらないかも」とか、
「なんであんなにお金がほしいって思ってたんだっけ」とか
あるいは、そんなことすら、思わないほどに、日常が、幸せやよろこびや感謝で、自然と心が満ち溢れてくるというか。
・・・そして、こんなふうに自然と思うようになった頃に、ずっと願っていたことが、
具体的なこと、些細なこと、ピンポイントな限定的なことも含めて、どんどん叶っていくもの、なのです。
逆説的、かもしれませんが、そういうものです。
以前・・・こんな感じで「今のままが本当に幸せ・・・神様♡」と思い始めた途端、以前作成していた「願い事リスト(悩みや執着があったときに書いたもの)」が、次々とピンポイント形で、形になって叶っていって、逆に大丈夫なのかと、思ってご連絡くださった方もいらったほどでした。(それですよ、それ、その感じでいってください、と言いました笑)
わたしは、「誰にも言ったこともないし、強く心に思い続けたわけでもない、どうせ無理と諦めてすぐに忘れてしまったような、でも、とても、素敵だと思っていたこと」が、形に現れる、喜びの体験となって現れる、ということを体験するとき、なんというか、神様を感じていました。
わたしは、執着に苦しんだ経験もありますが、同時に、
この世界のこと・外側のこと(物質、状況、出来事など)で「強く心に思い続けたり、イメージングしたり、なんとかしようとしたりせず、どうせ無理と諦める(そして忘れる)、あるいは、まぁいっかとすぐに忘れる」ことも、多かったのですが、それでも受け取れること(しかも間をあけずに、関わる人全員が笑顔になる形で)はたくさんありました。
なので、内側が全て、です。