アパリグラハ

トーシャ・シルバーという方の本を読んだのですが、とても素晴らしかったので、そのお話です。

確か、Amazon Kindleで無料だったような・・・。

わたしが思ってたことというか、シンクロしてる部分もとても多くて、最近とても感動した出会いのうちの、ひとつでした。

完全、全託、サレンダー系の本で、お祈り文もたくさん紹介されています。

軽快で、ユーモア溢れる感じ、でもエネルギーがスッとしてる感じ、です。

 

 

シンクロしてたところのお話で、これ、わたしもこんな感覚、というところを、今日はシェアしたいと思います。

「偉大なヨギであるパラマハンサ・ヨガナンダについて、こんな逸話がある。彼は占星術師たちに依頼して、世界旅行を開始するのに最も幸先の悪い日を特定してもらった。それから、神と動くなら前向きな結果が生じうると証明するために、あえてその日時きっかり出発した。サンスクリット語のアパリグラハという言葉は、”貪らず”という意味だ。自分の大切な人生のために願望を追い求め、掴み、所有権を主張する西洋流のやる方に比べ、アパリグラハは何も持たずに、心を開いて世の中を渡るということを意味する。(書籍:トーシャ・シルバー「とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく」より引用 )

実際には、トーシャ・シルバー自身ではなくて、彼女が書籍の中で紹介してくれたヨガナンダのお話と共感した、という話になりますが。

「世界旅行を開始するのに最も幸先を悪い日を特定してもらい、神と動くなら前向きな結果が生じうると証明するために、あえてその日時きっかりに出発した」

この部分は、わたしの心にずっとあったことでもありました。

わたしも「神と離れたと信じ込んでいて、恐れが強かった頃」というのは、外側のそう言ったことに「正解」を求めようとしていたこともあったのですが、

心の中に、いつも「そっちじゃない、こっち」という声が響いていました。

そして、あるときから、その内なる声を無視できなくなったのです。

内なる神だけを信頼し、耳を澄ませようと、完全にシフトしたところで、ヨガナンダのお話を読んだので、すごく深く受け取れました。

 

 

「世界旅行を開始するのに最も幸先を悪い日を特定してもらい、神と動くなら前向きな結果が生じうると証明するために、あえてその日時きっかりに出発した」

わたしも、今は、神以上のもの、神以外のものはない、と確信しています。

「問題」は解決されるために現れる、しかも、ただ解決されるのではなく、奇跡のために現れる、そのように、神の道具として、神に差し出すことができます。

神というのは、わたしたち一人ひとりの心の奥にあるもので、星の配置さえも超えるものなのです。

 

 

自分の大切な人生のために願望を追い求め、掴み、所有権を主張する西洋流のやる方に比べ、アパリグラハは何も持たずに、心を開いて世の中を渡るということを意味する。

と「西洋流」と書いていますが、西洋東洋関係なく、日本でもそういう人も多いのではないか、と思います。

というか「人生のために願望を追い求め、掴み、所有権を主張する」というのは、エゴの働きの特徴の一つでもあると思います。

このことは、たとえば、モノやお金などだけではなく、

たとえば「人生のために結婚を追い求め、掴み、所有権を主張する(わたしのパートナーだ、わたしの子供だと主張する)」でも全く同じことです。

まずは、これと同一化していたことに、気づけるかどうかだと思います。

 

 

「何も持たずに、心を開いて世の中を渡る」

この「何も持たずに」というのは、物理的なことを超えたところを指していると思います。

いつも、心を360度に開いて、この世界で暮らしていること。

心を360度に開けるのは、おそれを信じていないから、神を、完全なる一体性を、この世界を、信頼しているからでもあります。

外側を基準とする何かではなくて、内なる声に耳を澄ませ、それを心から信頼できているということ。だから世界も信頼できているということ。

こんなにも、広々とした、気持ちがいい、清々しい生き方が、あるでしょうか。

 

 

貪らないのは、真に満たされているからでもあります。

貪るのは、不足欠乏恐れを信じ込んでいる、それが大好きだからでもあります。これは、本来の自分の姿でもないので、なぜか、罪悪感のような、後ろめたさのようなものを感じ、隠したり、否認したくなったりするものですが、本来の自分の姿を忘れていただけなのです。

 

 

占いや占星術をすること・してもらうことを否定しているわけではありません。(トーシャ・シルバーは占星術師でもあります)

そういったものを頼りにしたくという方もいらっしゃると思いますし、クライアントさんにも占い師さんの方いらっしゃいますし、

それがいいとか悪いとかではなくて、これも他のすべてと同じように、本人の「その心は」のところが大事だと思ってます。

 

 

たとえば、外側に正解があると思い込んだまま、それに無自覚のままだったら、「こんなに頑張ってるのに、こんなに気をつけてるのに、こんなにお金かけてきたのに、なんで」みたいになると思います。

「自分には、何かが、欠けている、足りない(という感じがしてならない、そう信じ込んでいる)」の何かとは、神(内なる神、完璧な叡智、心の奥の永遠の無条件の愛)なのです。

それを、知的レベルで知っておく、だけでも全然違います。「知的レベルで知っておく」というのは、心底そうだと感じられて、その体験をしているわけではなくても、ということです。

占いがいい悪いとかではなくて、その心はがすべてで、どんなことも、心の通りに受け取るものです。

 

 

そういえば、ずっと前に、アーユルヴェーダのボディケアのおまけみたいな感じで、インド占星術で占ってもらったときの占い結果が、

「めちゃくちゃ葛藤する人生ですね。唯一の救いは、愛に生きることだけですね。一か八かみたいな感じですね」

だったことを思い出しました。

その頃「愛ってなによ〜」と、もじゃもじゃしながら帰ったような気がするのですが(なんかもう忘れましたが)

今思えば、当たってるかもしれません笑

スピリチュアルって、この「あとになってから、その意味がわかる」の、時差がなくなっていくことでもあります。

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