光の投影

今日は「自分の自分による自分のためのブログ(日記)」を書きたい、と思ったので、そうしてみようと思います。

ブログを書きながら、自分の考えがまとまったり、解放が深まったり、気づかなかった自分の思いに気づくことはよくある。

ブログを書くとき以外でも、セッションやグループレッスンをしながらとか、メールサポートの返信を書きながらとか、そういうときも、そんな感じになる。

ということはつまりどういうことかというと、ブログを読んでくださってる方や、クライアントさんの光と繋がれている、ということなんだなぁ、と思った。

 

 

「(自分が自分や他者をどう認識していようと)愛し愛されるために何もする必要がない愛そのもの、光そのものである」の、光。

 

 

光に心を開くことができて、光と繋がれているんだ。だから、ブログやメールを書きながら、セッションやレッスンをしながら、自分の考えがまとまったり、解放が深まったり、気づかなかった自分の思いに気づくことができてるんだ。

だから、こんなにも、ありがたいんだ。

 

 

これは、前にも書いた気がするけど、昔、まだまだわたしが苦しみの中にいたときの話。「カウンセラーの方」や「真理とか霊性とかのお話しされてる方」の本などを読んで、そういう本を読むとそこには「本当にみんなに心から感謝しています」ということが書かれていた。

別に「何かをしてくれてありがとう」とか「手伝ってくれたAさんに感謝」とか「常に黙って鞄持ちをしてくれた弟子たちに感謝」とか「”自分が”提供するカウンセリングやセラピーにより元気になってくれたクライアントに感謝」とか「自分が犠牲にした労力や時間に見合った成果をクライアントが見せてくれたから感謝」とかじゃ、ない。

そういう条件付けが一切ない感謝を、その本たちに、わたしは、感じていた。

「なぜこのような感謝ができるの?わたしはこれができていない」「この感覚をわたしもわかりたい、心からの無条件の感謝というものを、わたしもわかりたい」・・と思っていたことを、今、ふと思い出した。

そして「それはこういうことだよ」という「答え」を、今、実体験、実感として、受け取っている。

もう、かなり、長い間、この感覚の中にいて、今、こうして、やっと、言葉にできるように、なってきている。

 

 

こうして、わたしは、誰ひとりとして例外ない、みなさんの光を受け取っている。

読者の方の中には、一度もお会いしたことのない方も、いらっしゃるだろうし、「一度もお会いしたことのない方の正確な人数」をわたしが把握しているわけでもない。

一度もお会いしたことのない方、しばらく会っていない方、よくお会いする方、いろんな方がいらっしゃって、ただ、わたしが「確かにわかる」のは、誰ひとりとして例外ない、みなさんの光を受け取っている、ということ。

なぜ「確かにわかる」のかというと、この感覚は、わたしが今確かに感じているものだし、しかも、わたしの幸せの感覚を、落ち着きと静けさの中で、深めて広げてくれるものだから。

自分が愛し愛されるために何もする必要はないのだということを、思い出させてくれる。

「何かしなくっちゃ」「自己証明をするために、何かをしなくっちゃ!」という急かし立てるような、慌てるような、そんな感じがない。

だから「わかる」。決して動じずに、ただ、確かにあるから。いつでも、あるから。

 

 

「そういう条件付けが一切ない感謝を、その本たちに、わたしは、感じていて、その頃、わたしには、それがない、できない、わからないと、思い込んでいた」

自分の中にもあるから、外側に感じられる、

自分の中に光があるから外側に光を感じられる。

この「鏡の法則」「光の投影の法則」がピタッと一致するまでに、わたしはさまざまな「ゆるしがたい、理解しがたい人々」を鏡の法則という光にかざして、自分の価値判断や固定観念から解放され、「あなたとわたしはひとつの光」ということを学んできたんだ。

 

 

あれ、全然違う話を書こうと思っていた気がするのに、こんな話になっちゃった。

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