第4期 継続クラス(恋愛結婚グループレッスン)ですが、
追加募集の水曜夜クラスは、翌朝にはすでに満席となっておりました。
もし、万が一、キャンセルが出ましたら、追加で募集させていただくかもしれません。
同じような問題を繰り返している場合の終わらせ方、というか、超え方というか。
これも、他のすべてと同じで、
手法やメソッド、方法、というよりも・・・
認識、視点、視座、
何をやるかではなく、心の在り方
が重要です。
同じような問題、似たような状況、パターンを繰り返している、というときは、
そこに「ほんとうの愛のメッセージ、愛の意味」があります。
「ほんとうの」というのは、神視点、神聖なメッセージです。
逆に「ほんとうの愛ではない、愛に似たもの」というのは、エゴが主張する分離した視点からの「愛」です。
こういうメッセージや意味というのは、頭で考えたり、過去の経験ベース、外側から取り入れた情報ベースで捻り出そうとすると、「エゴの愛のメッセージ、エゴがいう意味」となります。これは、意外と、よくあることで・・・非常に巧妙な場合もあります。(余談:そういうのもあって、スピリチュアルワーカーの方は、内観・内省・自我の直視・内側に戻り続けるというセルフケアをとても大切に丁寧にされていらっしゃいます)
話を戻すと、同じような問題、似たような状況、パターンを繰り返している、というときは、
「この問題に見える出来事(この執着、この悩み、この状況等々)には、自分にはまだ見えていない、ほんとうの愛のメッセージ、ほんとうの愛の意味というものがあるらしい。今、わたしにはわからないけれども、それを知りたい、わかりたい、教えてほしい」
と思うことが、まず、大切なのです。
これは、言い方を変えると、祈り、意図設定、ということもできます。
このような、祈りや意図設定は、必ず答えられます。
この話(同じ問題を繰り返している)だけに限らず言えることなのですが、
早い方でその日中、遅くても3日くらいで、何らかの動きというか、サインというか、何かあるはずなのですが、
必ずしも「自分(エゴ)が嬉しい”姿形”で現れる」とは限りません。
一見「勇気や恐れがある感じ(※)」ということもありますし、「ちょっとちくっとする、痛いことを言われる」というようなこともあるかもしれません。
その先に、受け取る愛、というのがあるのです。その浄化の先、受容の先、信頼の先に、大きな愛の意味を受け取る、奇跡の体験を受け取る、ということに繋がっていきます。
「全然、何とも思っていなかった人から、連絡が来る」というようなこともあるかもしれません。
逆に「いつもいつも顔を合わせている、(例えば)同僚」の話を聞いていると、それが「答え」ということが「はっきりとわかる」というようなこともあります。
このように、祈ると具現化する、ということもあり、「外側の誰かや何かを通して現れる」ことが多いのです。(ほとんどと言ってもいいくらいかもしれません)
だから、360度全方向全方向どの角度からきてもいいように、いつも意識していたいところです。
※「勇気や恐れや抵抗がある感じ(※)」というのは、ある言い方をすると、「エゴ(不幸依存症)による恒常性維持機能を超えようとするとき」「エゴによる抵抗が浄化されるとき」とも言えるかもしれません。
もちろん、内側からというか、インスピレーションのような感じで受け取る、ということもあります。
この場合も、いつもいつも「自分(エゴ)が嬉しい”姿形”で現れる」とは限りません。
例えば「あの人に謝りに行こう」という考えが急に浮かぶ、ということがあるかもしれませんし、
「気持ち悪い、怖い」と警戒していた人からの連絡に対して「自分の見方が間違っていたのかもしれない。見方を変えて接してみよう」と思うかもしれません。
もちろん、こんなふうに、勇気やおそれや抵抗感を感じない形・・・ただただに感謝して受け取れる感じで現れるということもあります。
この「祈り・意図・問い」と「答え・メッセージ」というのは、自動販売機的じゃないですので、
一見、何の関係もなさそうなところが繋がっていたり、する、ということもあります。
そして、必ずしも、「自分が、エゴが、こんな感じで来るはず」と思った通りに来るとは限らないというか、エゴが想定できない、予想できないのが、「愛のメッセージ、意味、インスピレーション」ということもできます。
今思い出したのが・・・
例えば、継続コース(マンツーマンの7回セッション)では、一人ひとり、丁寧に、
「愛に戻ってない過去は丁寧に見ていく」ということをしますが、
その場合、ほとんどが親子関係や家族関係を見ることになります。(これは、仲がいい・仲が悪いに限らずです)
それで、ご両親との関係で喧嘩をよくしたり、イライラしたり否定的な感情になることがある、ということがある場合、
法則に沿って自分と向き合っていく、ということをするのですが、
向き合っていくうちに「親に電話して謝罪と感謝を伝えたくなった」と自然となる、ということがあります。
※自然と、いつの間にか、という感じで「いい距離感で、食事に行ったり、電話したりするようになった」というような場合もありますが。
ここで、例えばですけれども、「親に電話して謝罪と感謝を伝えてみようかな」という気持ちが出てきたけど、「いいや、でもだって」というエゴの声に引きずられる、ということもあると思うのですが(それが悪いとか劣ってるとかではないのですが)
「親に電話して謝罪と感謝を伝えたくなった」と自然となる、そういう感覚が自分の考えのようにして浮かぶ、というような場合、それをそのまま行動に移す、ということが大事なのです。
それによって、まるで「世界線を移動したような感じ」で、何もかもがひっくり返っていく、奇跡を受け取り続けていく、という感じです。
ここで、誤解しないでいただきたいのは
・「現実を変えたいなら、自分に向き合って、親に謝罪と感謝を伝えなければならないのでしょうか」とか
・「現実を変えたいから、自分に向き合って、親に謝罪と感謝を伝えなければならない」とか
・「現実を変えるには、自分に向き合って、親に謝罪と感謝を伝えればいいんですよね」とか
そういう話ではない、ということです。
※この辺りの混乱がある場合は、期待やコントロールなどを丁寧に見て、愛に戻していくといいかもしれません。