忍耐と我慢について

わたしの中で。

「我慢」と「忍耐」を使い分けていて、辞書の中の意味とも異なるので、ここでシェアしたいと思い、記事を書きます。

完全に「わたしの中での」という使い分けなので・・・

このブログを読むときや、セッション・クラスの中でのみ、通用するもの・・・くらいの感じで、軽く、読んでいただけたらと思います。

 

 

完全にわたしの感覚です。

 

 

わたしの中で、我慢、というのは。

「我、慢心」というイメージというか。

「わたしはこんなに我慢してるんだから、あなたも我慢して当然」というような、自己中心性、作者錯覚、エゴな雰囲気があります。

あとは「抑圧」な感じも。

「本当は嫌なんだけど、我慢して、表面ではニコニコしている(でも腹の底では・・・)」みたいな。

そういう意味で、我慢はしないほうがいいです。

抑圧もしないほうがいい、というか、抑圧しているからこそ、投影します。

「断るのはダメ、断ったらどう思われるかわからない、大人として人として云々・・・」というのがあるから、自分の本当の思いや感情、禁止しているものを押さえ込んで、押さえ込んでいるうちに、自分の本当の気持ちはどんどんわからなくなる。

このようなときは、まず、書き出しをするとか、内観するとかして、自分の本当の気持ちを見つめて、

負の感情を抑圧しているのであればそれを書き出しして、

決めつけ、価値判断、固定観念、不要な信念などを、見つけるほうがいいです。

※ここで「そのようなことをしたらそれが現実化するんじゃないか?自分の本当の気持ちを書き出したりなんかしたら、それが現実化しそうで怖い」という方もいらっしゃいますが、そんなことないので大丈夫です。というか、抑圧しているほうが、「心に大事に持ってる」みたいな感じになって具現化力(というか投影)があります。マイナスはマイナスのまま出すとプラスになります、光に変換されます。エネルギーは掛け算なのです。

 

 

それに対して「忍耐」。

忍耐は、信頼があるのです。

「今は冬だけど、もうすぐ春が来ることをわかっている、知ってる」感じ、とか。

「今、とても憂鬱だけど、それを抱擁する力、そして超えていける力がある、だから待てる」とか。

その上で、自分の気持ちと向き合える感じ。

これは、内観、自分自身と向き合っていく中で、ふかふかに耕されていく感じです。

女性性

セッションの空き状況について

  • URLをコピーしました!
目次