先日「ゆるせないと思ってる人の中に自分の無罪性を見ることによって自分をゆるす」ということについてブログに書きました。
奇跡講座からの引用です。
他者を赦すということは不可能である。
なぜなら、あなたが彼の中に見ているのはあなたの罪のみだからである。
あなたはそれを自分の中ではなく、そこに見たいのである。
だからこそ、他者を赦すということは幻想なのである。それでも、それはこの世界でただ一つの幸せな夢である。
あなたを死に導くことのない唯一の夢である。
他者の中においてのみあなたは自分自身を赦すことができる。
なぜなら、あなたが自分の罪を着せて彼を有罪と呼んだので、今ではあなたの無垢性を彼の中に見つけなければならなくなっているからである。
(中央アート出版 奇跡講座 S-2.I.4:2-6)
他者を赦すということは、不可能、と、はっきり書いてあります。
なぜなら、相手の中に見ているのは、自分の罪だ、ということが、はっきり書いてあります。
「あなたを死に導くことのない唯一の夢」の「あなたを死に導く」というのは、
身近な感じで言い換えると・・
「孤独でひとりぼっちだ」とか「このままだと孤独死するんじゃないか」とか
「どんどん老化して、老けていく」とか
「だからサプリメントとか、化粧品とか、美容医療とかでなんとかしたらいいわと思ってたけど、そうしたら、お金の不安が出てきた」とか
「もうすぐ地震がきて大変なことになるかもしれない」とか
この辺りと同じ感じです。
例をあげれば、もっと出てきますが、キリないので、やめておきます。
だから、「赦し」とかいうと、「なんか、自分とは遠く、かけ離れた、雲の上の話」とか「自分とはあまり関係のない話」みたいな、そんな感じがするという方もいらっしゃいますが、
身近な話、身近なところで適用していける、「奇跡、癒し、救い、目覚め・・」というのが、身近なところで、受け取れる、体験を通して学ばせていただける、導かれている(しかも望むなら毎日)・・というのは、大変、ありがたいことです。
それで。奇跡講座に出会う、はるか昔から、いろんな本を読んでいましたが、いろんな本に、これと同じようなことが書いてありましたし、心理学学んでいたので、投影についても知っていました。
なぜか、ずっと、「投影」に、惹かれていたというか、「ここにとても重要な何かがある」という感覚だけは、受け取っていました。
ずいぶん、何度も、迂回しましたが。
それで、やはり、わたしが受け取った体験を振り返っても、たくさんのクライアントさんのお話を聞いていても、それはその通りだ、と思うというか、もう、今では、そうでしかない、という感じです。
しかし「この人がゆるせない」というときも、あるかもしれません。
もう、怒り、憎しみ、裁き、相手を変えたいという思いが、止まらなくなってしまうようなときというか。
また、あるときは「世界中の全員に罪がないとしても、自分にだけは罪がある(としか思えなくなっている)」ということも、あるかもしれません。(わたしは、ありました・・)
そして、実は、どちらも同じだということに、気付いたのですが・・
いずれにせよ、赦しです。
赦しは、祈りの同盟者である。
また、あなたの救済のための計画においては、祈りの姉妹である。
両者が揃うことが必要であり、それがあなたを支え、足どりを安全に保ち、目的を確固として不変のものとする。
(S-in.1:3-4)
なので、祈るんだったら、赦しは必要。
両方、必要。
姉妹です。
つながってる、つながりあってる。
自我は、赦しが理解できないというか、絶対的に理解させたくない、赦しとか嫌で嫌で仕方がないけど。
でも、セッションでも、祈り、赦しを、ご一緒させていただくとき。
それはもう・・
すごくすごく、神聖で、すごく感動します。
すごーく、感謝です。