「お金・経済」も、
関係性、相対性、二元性、
あなたとわたし、見られると見る、
の話なので、同じように「投影から、完璧性の反映、延長」として、見ていくことが、できます。
様々な、感情、思考、信念、価値判断、決めつけ・・・色々なものが、出てくるかもしれません。
「お金に力がある」(神の力を横領したという勘違いの投影)
「お金という力を持っているが故に、力を持つ人々」(神の力を横領したという勘違いの投影)
「親が、貯金をしておかないと大変なことになる、と言っていた」(自分が正しいの投影)
「国が、世界が、ニュースが、専門家が、これから大変なことになると言っていた」(自分が正しいの投影)
「お金がないと、たくさんないと、生きていけない、死んでしまう」(=自分とはこの肉体であると信じている)
それとも、ただ単に、
「お金がない、足りない感じ、今のままじゃダメな感じ、もっと貯金がないと・稼がないと・借金をゼロにしないと安心していられない感じ」(=自分とは、不足している、欠けている、今のままではダメな存在だと信じる信念)
あるいは・・・
「このままではダメだとわかっていながら、浪費、無駄遣い、借金がやめられない」というドラマ(=エゴが罪悪感を深めるために作った計画、罪悪感、自己否定)
「お金がない、少ない、足りないわたしは価値がない」(=自分は価値がない存在だという無価値感の信念、比較、劣等感)
思い浮かぶままに、書いてみたのですが、色々ありそうです。
こういった思考・価値判断・決めつけ・ジャッジメント・信念の全てが、
間違っているとしたら、幸いなのですが、
「本当だ、もし、自分が間違っていたら、幸いかもしれない、間違っていることを、真にわかりたい(=体験したい)」
と、もし、望むのであれば、それを求めれば、奇跡の体験は、必ず与えられます。
反対に、
いや、どう考えたって、そうでしょ。どうみたってそうでしょ。だってみんなそう言ってるし、それが間違いと受け入れるなんて、怪しいし、危険だ(=わたしが正しい)
等、思える場合は、
現状維持機能が尊重されます。
恒常性維持機能、というのは、「今日生き延びれたら、それでよし」という、肉体の機能。
それが、悪いわけではありませんが、完璧な幸せ、完璧な喜び、愛を、求める段階に差し掛かっている場合、
この恒常性維持機能というのは・・・
例えるなら・・・
もし今までが「人生苦があれば楽もある」を信じていたなら、「人生苦があれば楽もある」を信じる機能、ということができます。
もし今までが「お金さんという権力者に振り回されている」を信じていたなら、「お金さんという権力者に振り回されている」を信じる機能、ということになります。
どちらを選んだとしても、
無条件の愛・無限の忍耐により、見守られ、尊重され、この上ないほどに、愛でられています。
ただ、その「体験、理解、学び」を、自分が受け取るのか、保留にしておくのか、それだけです。