内観、浄化、奇跡を求める(祈り)、求め続けることによって、
- 本来の自分自身と一致する
- 神聖性・創造性と一致する
- インスピレーションで生きる
- 全体性を生きる
ということが深まっていきます。
瞑想もこういったことにとても効果があります。
上記の1〜4の状態であるというのは、「本来の自分自身というピュア度(純粋度)」が高い、とも言えます。
本来の自分自身と一致しているとどうなるかというと、
- 「すべてうまくいっている」感じ
- 「問題、悩み、なかなか叶わないような願いがない」感じ
- 自然、宇宙、全体から、まるで支援されているような感じ
- 思う=具現化する感じ
- いわゆる「強運」
- 自分の奥の奥に「創造性」「成就の力」「具現化の力」があることが感じられる、確信していられる
- なので、不足感や諦めなどが自然とない感じ
・・・いろんな言い方ができますが、こんな感じです。
これで、この「自分自身の浄化の進み具合、純粋度」のセルフチェックを書いてみたいと思います。
「意外といい感じ、この感じでいいんだ」と自分で感じられる、ということも、とても大事だと思うからです。
※とはいっても、この世界に生きている以上、奇跡・気づき・体験の機会はたくさんありますから、「これでもう終わり」みたいな類のものではありませんが・・・
セルフチェックは・・・
浄化が進んでくる・純度が高くなるにつれて
(「いいこと」でも「悪いこと」でも)カルマが返ってくるまでにかかる時間の長さが短くなる
です。
「カルマ」というと、「!?」「過去世の行い!?」「なんかこわい」という方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
ここでのカルマは、例えば、
「髪をちゃんと乾かさないまま寝たら(1を発信)、朝ボサボサになった(1の受信)」
みたいな、ブーメランみたいな、なんか、そんな感じです。
例えば「浄化できていない状態」だとしたら、
(1を発信)
から
(1の受信)
までの時間が長くなります。
それが、自分にとって「いいこと」でも「悪いこと」でもです。
純度高ければ高いほど→時間が短くなる、純度低ければ低いほど→時間が長くなる、という感じです。
なので(1の受信)という出来事、体験を受けて、
「返ってきたものである」という認識がなかったり、「なんで!?」みたいな感じになったりすることがあります。
浄化が進んでくると、
それが、自分にとって「いいこと」でも「悪いこと」でも、
(1を発信)
から
(1の受信)
すぐに返ってくるようになるし、自覚もできるようになってきます。
例えば、最近のわたしの「悪い」方の例でいうと、
ある映画をみて(趣味:映画をみること)、それが今のわたしにとってはあまり合わなかったようで、
(その映画のサイン、シンクロを受け取りながら)、その日はよく眠れず、次の日くらいに体調を壊した
みたいな感じです。笑
もし、これが、「全然浄化できてない状態」だったら・・・
例えばの話ですが、
「その映画に好奇心が刺激され、”ワクワク”しながらその映画に関連することをたくさん調べて、思考面・感情面で知らないうちに影響を受けて、ますます本来の自分から遠ざかる・・・(もはや、どこでどうカルマの清算が行われているかもわからないし、複雑な絡み合いなどもあって、「どうして私の人生こんなことになったの!」等と思う)」
とか、そういうことになっていたかもしれません。
ここで一つわかることが、「好奇心、楽しい、刺激、快楽(自分にとって本当は苦痛)」みたいなものと「真の楽しみ、感動、快(自分にとって本当の幸せにつながる)」みたいなものとの違いが、
浄化がまだの状態のとき(=つまり奇跡の機会がたくさんあるとき)というのは、自分でわからない(自覚ができない、意識できない)、ということでもあります。