【リマインド】盲点になりやすい「内側が先、外側があと」の具体例

心にすべての力があります。

心が、無限の創造性を選択するか、ないところに幸せを探すことを選択するか、

究極を言えば、その二択ということです。

 

 

心の選択が、行動、関係性、形、五感で体験できるもの・・・すべてを左右しています。

このことを受け入れるということは、

自力で頑張って収穫する以上の何かがある

証明・常識・多数派の意見を超える幸せな何かがあってもいい

奇跡というものがあってもいい

ということでもあります。

これが結果的に「人間力を鍛える」「自分を磨く」という言い方になることもあるのかもしれませんが、

けれども「自分が自分だと思っている自分」というものを超えていく、

ほぼ他力な、心を楽にしていく道、ということでもありますし、

これが、現実創造・具現化・願望成就の力とつながる、ということでもあります。

 

 

それで、今日は、

【リマインド】盲点になりやすい「内側が先、外側があと」の具体例

についてです。

現実創造・具現化・願望成就において、大切なことというのは、とてもシンプルなのですが、

そのシンプルなことを、さまざまな角度から、何度も思い出していく、

ということが、意外と大事なのかもしれません。

ということで、リマインドです。

 

 

そして、「盲点」だったり、自分で全然気づいていないこと、解離、

というのがあるから、ボタンが掛け違っているようなむずむず感があるのであって、

ここを一致していくことは、現実がどんどん一致していく、ということでもあります。

 

 

盲点になりやすい「内側が先、外側があと」の具体例

なのですが。

例えば。

今日たまたま何かのニュースを見て、大きな不安が出てくるとするとします。

このとき、わたしたちの多くは

そのニュースを見たことによって、わたしの心は大きく不安になった

と解釈します。

もうちょっと細かく書くと、

そのニュースの〜〜といった内容(外側)によって、わたしの心(内側)は大きく不安になった

ということであって、これは、

「ニュースが先、大きな不安があと」

ということになります。

 

 

さて。

ほとんどの方は、

「ニュースが先、大きな不安があと」

と、解釈すると思いますし、これが悪いとか、未熟だとか、劣ったことだとか、そういう話でもありませんよ(笑)

 

 

しかし、ここは、

奇跡・現実創造・具現化・願望成就

※しかも、個人の頑張りや、探偵を手配するなどの人間の力や、そういうものを超えた全体性・神による創造性の話です。

の話をするところなので、

「普通は〜」とか「みんなは〜」とか「信じる信じられない」などは、一回、脇に置いておきます。

(後でまた脇に置いたものを回収したかったら回収すればいいので、一回脇に置いておきます)

 

 

それで、奇跡・現実創造・具現化・願望成就、というところでみると、

心がすべての力を持っていて、心が選択したものの反映がこの現象世界である。

というのは、これはもう、「わたしはこう思う」「わたしはそうは思わない」などの話を超えて、そうだ、という話です。

 

 

そういったものを、おさらいした上で、

そのニュースの〜〜といった内容(外側)によって、わたしの心(内側)は大きく不安になった

こういった、自分の内側での反応、動揺、解釈、に気づいたとき。

まずは、外側が先、内側が後になっていたことに、気づくことができます。

そして、このまま、外側が先、内側があと、という解釈をし続けても構わないのだけれども(罪ではない)

是非とも、うちなる創造性と繋がりたい、ということであれば、

他の見方で見てみたい、

と、望むようになります。

できるかできないかどうするか?と自分で考えたり、なんとかしようとしたりする感じじゃなくて、

ただ、うちなる創造性と繋がり、その完璧な創造の反映をみたい、と望むようになります。

 

 

そのニュースの〜〜といった内容(外側)によって、わたしの心(内側)は大きく不安になった

これが、内側が先、外側が後、なのであれば、どういうことかというと、

その大きな不安というものは元々自分の内側にあった。

※もちろん「そのニュースにまつわる具体的な不安」ではなくて、心の中で感じられる不安という感情のことです。

そして、その感情(そしてその感情と共にある思考・価値判断・信念・欲求など)が、自分の潜在意識の中に、ストレス・緊張・トラウマのような形としてあったからこそ、

そのニュースを見て、動揺した

と、思い出すことができます。

 

 

ニュースだけでなく、自分の心の動揺に気づくことができたら、いつでも、まず、このことを思い出すこと。

そのように受け入れたくない、ということもあると思いますが、

そのようなときは、自分の中で、

「このままこの苦しみを持ち続けるか、奇跡を体験するか、どちらを望むか?」

と、問いかけて、選ぶことができます。

もちろん、このまま、苦しみを持ち続けたいと思ったとしても、それが悪いわけでは(罪や裁きに値するわけでは)ありません。

 

 

こういう感じのを、いつもわたしも実践しています。慣れると、すぐですし、奇跡の機会だと感じられるようになります。

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