瞑想

瞑想はいいですね。

ここ数年、瞑想をするようになりました。

瞑想といっても、いろいろ種類があります。

 

 

いろいろ試してみたのですが、やっとしっくりくる感じになって(そういう瞑想法に出会うことができた)、最低でも1日2回(朝夕)しています。

以前、瞑想が苦手で、じっとしているのも苦痛で、瞑想の良さみたいなものが全くわからない時期も長かったのですが。。。

 

 

おそらく、人それぞれ、だったり、その時々、だったりで、「自分の奥が求めているもの」というのがあると思います。

自分に合った瞑想法、というか。

瞑想よりも、歩く方がいい、というようなこともあるかもしれません。

自分の感覚、内側の感覚、内なる純粋な声を大切にきくようにしている中で、人でも、ものでも、瞑想法でも、なんでも、いい出会いが、スムーズにやってくるような、そんな気がしています。

「出会う」ということもありますが、「実は完璧な流れの中にいたということがわかる」ということもあるようです。

クライアントさんのお話を聞いていても、それをよく感じます。

今の自分に、ぴったりなもの、必要なもの、場所に、自然と導かれていくような、そんなお話をよく聞きます。

が、本人にとって、それがあまりにも自然に起こるためか「導かれてます感」がない、ということは、とても多いです。反対に、意識的に導きを求めて、それを受け取っていく、というような場合もあります。

 

 

それで、瞑想って「本を読んでやる」「ネットの情報を参考にやる」という方も、もしかしたら、多いかもしれませんが(というか、わたしがそうだったときがあるのですが)

今では、指導してもらうことは、非常に重要だと感じています。

瞑想だけじゃなくて、心・スピリチュアルなこと全般に言えることです。

 

 

今は、情報が簡単に手に入って、

「そこに書いてある通りにやる」ということができれば、それでいいのでは?

自分で理解できれば、それでいいのでは?

と思う場合も、あるかもしれませんが。

どんなに自分は大丈夫だと思っても(というか自分は大丈夫だと思っているほど)

いつの間にか「自己流」になってしまうものです。

 

 

それ以上に、瞑想を含めた、心・スピリチュアルなことを学んだり、癒しや解放だったりって、言葉を超えたところで、なされているものです。

頭脳・言葉・目に見える・五感で捉えられる・五感で伝えられる・・・そういったところだけじゃないところがほとんどというか。

なので、当然、本を読むのと、その著者に直接会いにいくのとでは、雲泥の差があります。

例えばですが、その著者に会いにいって、その著者が話したのはほんの5分程度、世間話のようなことで、そのあとはただ一緒に瞑想しただけだったとしても、受け取るものは膨大、ということは非常によくあることなのです。

これは瞑想だけじゃなくて、ヒーリングもそう。祈りもそう。セッションもそう。

だから、例えば、セミナーに参加した人の話を、参加してない人が聞きたがる、というようなこともあるようなのですが、これだと全く無意味になってくるのです。

そりゃもちろん、情報の獲得に重きを置いたセミナーだと、それでもいいのかもしれませんが、

スピリチュアルでいうと「情報の獲得、情報の収集」は意味がないです。といっても、知的な理解も必要ですが、知的な理解がメインではない感じです。

 

 

どちらかというと、自分と向き合うということは、例えばですが、「情報を獲得すること」ではなくて、「ドンピシャな情報が、ドンピシャのタイミングで、向こうからやってくる」感じ、です。

それで、もしかしたら、「ドンピシャな情報が、ドンピシャなタイミング感」も、あまりないのかもしれない。でも、絶望しきっているときに、「向こうからやってくる」ということもあります。

 

 

定期的に、勉強会というか、練習会というか、定期点検というか、そういうのに参加するのですが、

ここ数年よく感じるのは、学ぶというということは解放されることだ、ということです。

知らないうちに、気付かないうちに、自分で自分を閉じ込めていた、思い込み、決めつけ、そういったものが、とても自然に、はがれ落ちていく感じ。

知らないうちに「不可能だ」と決めつけていたことが、可能として現れる感じ。

知らないうちに「難しい」と決めつけていたことが、すでに日常に溶け込んでいたことを知らされ、深まっていく感じ。

 

 

ちょうど先日まで、瞑想とヒーリングの勉強会(勉強会?)にしてきていたので、今日はこんな話になりました。

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