これは、例えばですが、
セミナーや講習やグループレッスンなどに参加されたことがある方、自己啓発などに興味がある方、お勉強されてきた方などで、
「本気を出すことが大事だ」ということを教わって、
「いや、でも、わたし、本気なんだけどなぁ・・・?」「ちゃんとやってる”つもり”だぞ・・・?」という感じになって、
そもそも「本気ってなんだっけ?」・・・みたいな状況を想定した話です。
こういう場合ほど、すごく頑張ってらっしゃったりするので、「本気じゃない」と言われても「!?」となる場合が多いようです。
確かに、本気というのは、大事というか。
祈り、というところでいうと、本気で祈れば(外側に求めればではなく、内なる神に祈れば、です)、必ず、それは、届きます。
本気であれば「与えられているけど、どうせ受け取れない。わたしが悪いんですよね。何かが足りないんですよね」とかじゃなくて、受け取れます。
自分が、それとわかる形で・・・そう「形、体験、五感でもわかる感じ」としても、受け取れます。
内的な変化こそが重要なので、内的な奇跡を先に受け取るものですが、外側をあまりにも信じ込み過ぎてしまって、まだまだおそれや罪悪感が強い場合(無自覚の場合も含めます)は、
ただ外側が変わったような、そんなふうに受け取ることもあるのかもしれません。(が、これも内的な選択の変化があったからこそです)
というか、無条件の愛としての神様が「奇跡を与えてやるから、信仰をよこせ」などというわけがないのです。無条件の愛は何も要求しません。
無条件の愛は、たとえどんなにエゴを選んで、外側を求め続けていたとしても、私たちが心から望むときを確信しつつ、無条件の愛、無限の忍耐で、見守り続けてくれています。
ということは、祈っても、何やっても、変わらない、しかも、「本気を出せ」などと言われる場合には、一体何が起きているのでしょうか。
本気とは何か?というところで思い浮かぶのは・・・
自分の心の奥底から、生き生きと溢れ出るもの、みたいな感じです。
リアルな、本当の、自分の、心からの切実な思い。
・・・これは、ひっくり返すと、わかりやすいかもしれません。
ということで、久しぶりに「逆から学ぶシリーズ」です。
本気とは何か?
逆に、本気じゃないとは何か?
「リアルな、本当の、自分の、心からの切実な思い」ではないもの
ということで、真っ先に思い浮かんだのは・・・
外側から取り入れた情報、
外側から取り入れた「正解(だと判断したもの)」
外側の誰かが言っていたこと(自分以外の誰かの考え)
↑これを、そのまま、
丸ごとお手本みたいな感じにしてたり、
真似事みたいな感じにしてたり、
鵜呑みにしてたり、です。
そういう感じの「思考パターン、思考ルート、自動装置」みたいな感じです。
この自動装置が無自覚に発動している状態だと、(一生懸命頑張っていたとしても)リアルな、本当の、自分の、心からの切実な思いではない、ということになります。
したがって、外側基準は、本気ではない、ということになります。
自分じゃなくて、外側の何か、です。
「あの本に、こう書いてあったから、そうだ」
「あの人が、ああ言ってたから、そういうもんだ」
「あの先生が、こう言った。それが正解なんだ。それが答えなんだ」
「テレビがこう言ってたから、YouTubeがこう言ってたから、先輩がああ言ったから」
・・・というのは、
自分が、外側の本や人や先生や専門家の人の言葉を語っている状態で、自分の内側から溢れたものではないもの、つまり、「自分ではない」ということになります。
インプットしていたものをアウトプットしていただけで、それは、わたしでは、ない。
いいとか悪いとかじゃなくて、ただ、わたしではない。
(これをただ自覚できるかどうか、というのが、まず大事で、その次に、自分は何を望むのか?、というところなんだと思います。)
そうなると「頑張る」というのも、本気ではないということがあるかもしれません。
一生懸命頑張って・・・というようなとき、それで、自分が苦しい、というような場合。
喜びや生き生きではなく、疲労、息切れ、見返りがない、という感じの場合。
頑張ってるのは頑張ってるにしても、「本気かどうか?」でいうと、本気じゃなかった、ということもあるかもしれません。
これは、どういうことなのか。
これは、例えば・・・
(恋愛少女漫画、あるいは、ドラマ的なイメージの話ですが・・・)
例えば、ある男性が、パートナーの女性に一生懸命尽くしてあげているのですが、なんというか、こう、内側から溢れ出るような何かが、その男性からは感じられません。
結婚も、新婚旅行も、出産も、育児も、家事も、協力的で、頼めば気持ちよく手伝ってくれるのですが、どこか「義務なのでやります」という感じが、なくもないというか。
それで、女性の方も、なんかモヤモヤする、なんかさみしい、みたいな感じ。
(なんか、こういう漫画とかドラマとか映画とか見たことないですか?・・・全然イメージわかない方がいらっしゃったらごめんなさい)
表面的には完璧で申し分なくても、「なにか」ものたりない感じ。
この「なにか」が、本気の出どころで、ハートと呼んだりするのかもしれません。
それでじゃあ、その男性が悪いとか、劣ってるとか、そういうことでもありません。
女心をわかるべきとか、発達障害なんじゃないのとか、そういうことじゃないことがあるのですよ。
本人は、すでに一生懸命頑張って尽くしているのです。
どんなに不器用であったとしても、そのときの自分にできる精一杯を持って、その女性に愛を表現したい、繋がりたい、と願っているはずなのです。
「本気の出どころ」は、すでに、本人の中にあって、そこと本人が結びつくしかなくて、結びつくには「一生懸命頑張る」必要などないのです。(エゴが苦行だと言ってるだけです)