子供のようであり、悪代官のようであり

エゴには、さまざまな側面がある、ということもできます。

 

 

利己的な側面。詐欺師的な側面。破壊的な側面。暴力的な側面。

あるいは”厳しくジャッジメントする”聖人君子的側面。

悪代官様みたいな側面。

妄想や理想や過去に耽り、浮世離れした作家みたいな側面。

あるときは、もう嫌だ、と抵抗したくなりますし、「消したい」「消滅させたい」という感じになることもあります。

 

 

けれども、子供のような側面もあるのです。

正直で、真っ直ぐで、わがままで、自分の欲求に素直で忠実で、周りのことがまったく見えていなくて、

でも、悪気があってそうしてるんじゃなくて、

「何も知らなかったんだもん」

「わからなかったんだもん」

「なんかおもしろそうって思っただけだもん」

「綺麗だなと思ったから、触ろうとしただけだもん」

「わたしのことだけ見てほしい」

「約束を守ってほしい」

「たくさんかまってほしい」

「わかってほしい」「いつも一番の理解者でいてほしい」「何も言わなくても察してほしい」

「たくさん、たくさん、愛情で満たしてほしい」

「褒めてほしい、認めてほしい」

「いい子にして、なんでもいうこと聞いていたら、褒めてくれるよね」

 

 

どんな「エゴ」にも共通しているのが、(一見そうは見えなかったとしても)「愛を求めている」ということ。

愛を求めている、ということは「自分にはそれがない、足りない」と信じている・錯覚しているということで、

愛には「足りない」ということは本当はあり得ないので、愛というものを忘れたことにして、誤解してしまっている、ということでもあります。それが悪いわけでもない。

 

 

でも、「本来の自己」というのは、エゴじゃないから、愛そのものだから、本当は愛を知っている。

そして、エゴと同一化しているときは、それを、忘れてしまっている、何か別のもの、愛と似ているけれど愛ではないものと、混同してしまっている。

わたしがすることは、エゴをゆるしていくこと。本当の意味で、ゆるしていくこと。

「あなたは罪があるけれど、わたしは心が広いので許してあげます」とか「あなたと同じようにわたしにも罪があるので許してあげます」というのは、傲慢さであり、呪いであり、本当の意味でのゆるしじゃない。これが悪いこととかじゃなくて、ただそういうもの、という感じ。

そうじゃなくて、光の中に入っていく。光を見る。

 

 

こんな「ほしい」「ほしい」「ほしい」「ない」「足りない」という、わがままな「子供」のような声が、自分の中にあることに気づくことができたとき。

場合によっては「もう嫌だ!」「うんざりだ」と言いたくなることも、あるかもしれませんが、

実は、自分じゃなくて、その「子供」の方が、もう嫌だ、うんざりだ、と思っていたりするかもしれないのです。

 

 

長い間、この「子供」の声を、押さえ込んで、聞かないふりをしてきた、ということもあるかもしれません。

でも、そうすると、おもしろいほど、

・わがままだったり、自己中だったり、気分屋だったり、「俺様」「女王様」だったり、乱暴乱雑だったり・・・する、子供みたいな人が現れる

・相手と話が噛み合わない

・自分が言いたいことが相手になかなか伝わらない(わかってもらえない、誤解される、歪曲して解釈される、スルーされる等々)

・「何度言っても、してほしいことをしてくれない。あるいは、やめてほしいことをやめてくれない」みたいなことが起きる

・「あなたインナーチャイルド癒えてないんじゃないの?」みたいな人が現れる(拗ねる、天邪鬼、かまってちゃん、察してちゃん)

・(自分の)苦しい感情に圧倒されるような状態になる

・具現化力が弱い

こういう現象が起きてきます。

 

 

この子供(内なる子供、インナーチャイルド)のケアをする、というのは、わたしにとって、歯磨きのような感じです。

歯磨きって、別に「虫歯になったらするけど、虫歯がないならしない」「今断食中だからしない」とかじゃなくて、いつもするものです。

歯を磨いたからといって「磨けば磨くほど、透明度が高くなるのが、目に見えてわかる」などの”目に見えるわかりやすい変化や効果”があるわけではありませんし、

歯を磨いたたびに100P貯まって、1,000P貯まれば「願いをなんでも一つ叶える券」に交換できる、ということでもありません。

 

 

ただ、する、という感じです。別に、虫歯がなくても、断食中でも、歯磨きはします。

「歯を磨いてないと人から嫌われるから歯磨きする」とかでもなく、人から嫌われようが好かれようが、そういうの一旦脇に置いておいて、ただ、します。

「病んでるからする」「癒えてないからする」とかじゃなくて、ただする、という感じです。

 

 

それで、「この世界は鏡」なので、外側に「あなた歯を磨いてないんじゃないの?」と言いたくなる人が登場する、ということは、自分の歯がちゃんと磨けてない、ということでしかないので、

わたしだったら、自分の歯を磨くこと(=内なる子供のケア)に徹します。

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