「奇跡は与えられ続けてる」の話

奇跡は起き続けている。

奇跡は与えられ続けている。

ギフト、サイン、メッセージ、愛で、溢れ続けている、与えられ続けている。

ずっと、そうだったんだ。

・・・ということに、あるとき気づくというか、わかるというか、そんな感じになることがあるかもしれません。(そんな感じになる人、続出、です)

 

 

けれども、自分が雲と同一化していると、与えられていてもそれがわからない。

 

 

・・・ということを、クライアントさんと答え合わせする感じのセッションが、最近なぜか、シンクロしています。

それで「一旦、ちょっと、確認をしてみる」と、クライアントさんが、

「なぁ〜んだ」「これでよかったんですね!」「本当ですね!」

みたいになる・・・みたいな感じです。

 

 

しかし、雲と同一化(エゴ、過去の記憶、不要な信念、偽の自分)していると、

このことが、本当に、わからないというか。

自分もそうだったのですが、エゴと同一化しているときは、「真逆で受け取る」ということを、頻繁にやるのです。

「あなたを愛していますよ、信頼していますよ」という出来事を、「嫌われた」「否定された」「のけ者にされた」と受け取ったり。

「愛しているあなたに贈り物です」という出来事を「邪魔をされた。イライラ」と反応したり。「自分を騙そうとしている(警戒)」という感じで受け取ったり。

 

 

とにかく、エゴと同一化していると、「逆で受け取る、解釈する」ということをよくやる、しかも、一番大事なところで、それをやるものです。

なので、エゴと同一化していると気づくことができた場合は、分析しない、頭で考えない、ということができますし、

 

 

わたしは、これを逆手にとって、「怖いと思ったものほどやる」「今までと逆を選択して行動する」ということをしてきました。

わたしにとって、「怖いと思ったものほどやる」「今までと逆を選択して行動する」というのは「成功メソッド」みたいなもので、外れたことがありません。

・・・でも、これは、ある程度、自分の感覚に耳を澄ませるということをしていないと、

「不要なものと、怖いふりをした大きな幸せとの違いがわからない」・・・みたいなことになってきます。

でも、本当の自分の感覚は、ちゃんとわかってるもの、そういうものです。

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