何かが自分と共にいてくれている。
その何かが、自分が故郷へと帰るまでの道を一緒に歩いてくれている。
故郷に帰れば「ここは自分の居場所ではない」という孤独感や違和感も、「このままではダメだ、今のままではダメだ」という焦りや不安や強迫観念も、「過去に大変なことをしでかしたから、わたしはもう許されない」という絶望感も、「なぜずっと退屈なのか、なぜ心から満たされるような幸せを感じられないのか」という問いも、すべてが終わる。
だって、故郷だから。
故郷では、自分は自然にしていられる。自然にしていられるから、とても寛いでいるし、満たされて、幸せで、みんなから歓迎されていることが、いつも、とてもよく、感じられる。
必要なものは必ず与えられているし、喜びや幸せに貢献するものも必ず与えられているし、安全で、安心していられる。
不幸というものは不可能で、うまくいかないということがあり得ない、苦痛や欠乏や不足が実在しない。
だって、故郷だから。
その故郷へと帰る道を、何かが、一緒に、歩いてくれている。
その何かが、あなたに求めることが一つだけあって、
それは、あなただけの秘密の寄り道に、その何かを招くこと。
その寄り道を、あなたが秘密にした理由は・・・
悪いことだと思っているから。絶対に許されないと思ってるから。
恥ずかしいことだと思っているから。
みっともないと思っているから。
このことを知られたら嫌われる、拒絶される、幻滅されると思ってるから。
このことを知られたら、ひどく怒られる、否定されると思ってるから。
このことを知られたら、馬鹿にされる、見下されると思ってるから。
「こんなことくらい自分でしなきゃ」と思っているから。
このことを知られたら、自分にとって、一番大事なものが取り上げられると思ってるから。
大変なことになると思ってるから。
絶対にもうどうすることもできない、誰もどうすることもできない、と思ってるから。
「そう思い込んでるとかじゃなくて、そうだと、わかってるから。わたしわかってるから」と思ってるから。
でもその何かは、その寄り道に、招いてほしい、と、あなたに求めている。
その何かは「その寄り道に、あなたがわたしを招いてくれたら、それこそが故郷に帰る道になる」という。
その何かは、
「あなたが大事にしている秘密を、あなたの許可なしに、取り上げることなんてできない」
「でも、あなたが、その場所に、わたしを招いてくれたら、その寄り道を一緒に歩くことができる。わたしたちが一緒であることを、あなたが受け入れてくれたら、どこにいても、それは、故郷までの、確実な道になる」
という。
心理的にしろ、物理的にしろ、問題や葛藤や後悔や恋焦がれるような願いがあるとき、そんなふうにして、その何かは、あなたに、自分を招いてくれることを、求めている。
「そう思い込んでるとかじゃなくて、そうだと、わかってるから。わたしが悪いんだって、わたしがダメなんだって、わかってるから。わたし、わかってるから」と、叫んでいるその場所で、
「その秘密の寄り道の中に、自分を招いてほしい」と、その何かはあなたに、かすかな声で、優しく、ささやいている。