個人という感覚が、どんどん薄れていっている、と、あるとき、ふと思う。
昔は、個人、個別でいることが可能であると、本気で思っていた。
個人で、個別の「箱」みたいなものに、「自分だけのマズイ秘密」みたいなものを、たくさん詰め込んでいて、隠しておける、と、本気で思っていた。
この「箱」の外側は、綺麗にラッピングをして、飾り付けをして、「わたしってすごい」「あなたと違って、わたしって特別」と思うことにしていた。(もう笑うしかない・・笑)
けれども、その「個別の箱」も「自分だけのマズイ秘密」も、存在していなかった。
存在もしていないものを、必死で隠そう、なんとかしようと、思っていたので、心も身体も疲弊していた。
その度に「自分には価値がない」という信念(エゴ教の教義)を、深めていっていた・・(笑)
祈る、ということは、
神様に「箱」ごと捧げて、この「箱」の中に「入ってきてください」とお願いする感じ、でもある。
すると、「箱(だと思い込んでいたもの)」も、「自分だけのヤバイ秘密(だと思い込んでいたもの)」も、すべてが、光で照らされる。
すると、すべてが・・心も、そして、この世界も、この世界の何もかもも、すべてが、光だということを、受け入れることが、できるようになる。
この光、というのは、全体のものなので、全体とそれが共有されているということも、知らされる。
これを、わたしは、プライベートでも、セッションやグループレッスンなどでも、何度でも体験していて、体験するたびに、確信が深くなっている。
「もう、十分に幸せだから、もう祈らない、もう癒しは必要ない」とか、そういう話じゃない。この世界にいる以上、そういうことじゃなかったんだ。
真の癒しも、この幸せも、歓喜も、限界、制限がないものなんだ。
本当の自分自身と一致すること、ということは、この世界の何よりも、幸せで喜びなものだから、何度でも、癒しを求め続け、それを体験し続けて、そうして、目覚めていく。
目覚めていく、ということは、自分が見ている世界が目覚めている、目覚め続けている、どこを見てもどこに行っても世界が目覚めている、ということなんだ。
最近、お申し込みのときの欄に、リピートのクライアントさんから、
「もっと深めたい、深め続けたい」
「もっと何かある気がするんです」
「今もすごく幸せで満たされているのですが、もっと大きな何かがある気がするんです」
みたいな、そういうコメントが続いたことがあって、自分の中にある何かと、響いている。
振り返ってみると、
(1)”自分と向き合うことができず、病んだ自分を、病んでない人・健康な人・治療者と呼ばれる人から癒してもらう、助けてもらう”という巻
(2)”自分と向き合った上で、治療者と呼ばれる人を通して癒しを受け取る”という巻
(3)”自分一人でなんでもできるもん、自分で自分を癒せるもん、自分が奇跡を起こせるもん”の巻
(4)”治療者、ヒーラー、シャーマン等々と呼ばれる人、神聖性を象徴する場所などを通して、神の癒しを体験していく”の巻
(5)”同じく奇跡、癒しを求める人々、祈る人々と共に、神を体験していく”の巻
(6)”神の癒しは、わたしと共にある、それゆえ、みんなとも共にあるので、どこに行っても誰と会っても何を見ても神を感じる”の巻
(7)”「欠乏」という夢はすでに一瞬にして終わっており、ただ神だけが実在していたことを、ただ受け入れる”の巻
(4)(5)(6)の差がない感じでもあります。
(1)と(2)は「わたしの人生の初期」という感じで、(2)の最後の方で、治療者の方が「なんでそんなに良くなったの?どうやったの?」だったり「奇跡だね・・」だったり、という言葉をかけてくださったおかげもあって、
「自分でも、人でもない、何か」への意識が強くなった、というのもあるかもしれません。
自分は何もしていないのに、「先生様や薬様や特別な治療法様のおかげ」だと思いこんでいたのに、
その先生が「なんでそんなに良くなったの?何をしたの?どうやったの?」という感じで、わたしはそれに答えられなかったので(何もしていません、としか答えようがなかった・・)
わたしも「何なんだろう?」と思うようになった、という感じです。
そして・・
今思えば、(3)が、一番の氷河期だった・・笑
自分の表面意識的には、ただ、真面目に生きようとしていただけだったのですが。
「誰かに助けを求めたり、頼ったりするのは、甘えること。甘えることは、悪いこと、恥ずかしいこと」「依存は悪いこと、恥ずかしいこと。自立、独立、自律しないと、悪いこと」みたいな、そんな感じでした。
※別に「悪いこと」「恥ずかしいこと」とか、そういうことじゃないんですよね。
セルフコントロールに熟達しようと努力し、それができない自分を責めていました(自作自演・・笑)
(3)が粉々に砕け散る頃、わたしはまた「何もできない」となって、
神様がすべてしてくださっていたこと、その神様と離れたことは一度もないことを、思い出し、
子供の頃も、10代のあの暗黒時代のときも、毎日祈っていたことを思い出して、また、祈りはじめました。
こうやって、書いてみると、なんか整理されたような、そんな感じになる。