「何をしたらいいかわからない」という場合。
願望とか、願いとか、そういうのが、特にない、という場合。
それでいて「心から満たされて満足して幸せです(感謝が自然と湧き出てくる)」というわけでもない、という場合。
「どちらかといえば不快感のような感じ」「なんとかしたい感じ」「もっとなんかあるはずな感じ」を感じているという場合。
まず問いかけてみたいのは、
「存在(ある)」と「行動(する、持つ)」の区別がついているかどうか?
「存在(ある)」そのものに価値があると思っているのか、
「行動(する、持つ)」によって価値が決まると思っているのか、
を、問いかけてみます。
もし、「行動(する、持つ)」によって自分の価値が決まる、と思っているのであれば、それを手放すことができる時期かもしれません。
「何をしたらいいかわからない」というご相談をいただくこともあります。
「何かをしたいけど、何をしたらいいかわからない」ということもあれば、
「漠然と、今のままじゃダメだという感じがある」ということもあれば、
「何をしたいのかはっきりさせなければならないのに、それがわからない」という場合もあります。
「何をしたいのかはっきりさせなければならないのに、それがわからない」という場合は、外側や他者からの影響でそのように信じている、というケースも、あります。
これは、例えばなのですが、「自分軸」について学んでいたところ、「何をしたいのかをはっきりさせよう」「好きなことをしよう」というようなことがあって、それに答えられなくて、それで自分を責めてしまっている、問題視している、好きなことがわからない・・などです。
まず、大事なのは、存在そのもの、です。
行動も大事だといえば大事かもしれませんが(わかりませんが)、それよりも先に、何よりも大事なのは、「存在そのもの」です。
「やり方」も大事といえば大事かもしれませんが(わかりませんが)、それより何より大事なのが「あり方」という感じです。
まずは、「存在そのもの」。
ここをすっ飛ばして「何をするのか」「どうすればいいのか」というところを、追いかけつづけていたら、一生、「何をするのか」「どうすればいいのか」という問いに追いかけ回されることになります。
わたしは「何をしたらいいのか、わからない」とか「何もできない」というテーマが浮かぶ時期ほど、光が指している時期はないのではないか、というほど、素晴らしい時期だと思っています。
あ、でも、孤独のどん底のときや、罪悪感のどん底のときや、絶望感のどん底のときや、恐怖で押しつぶされそうで抑圧さえもできないような時期も、わたしには、光が指している時期に、見えます。。
「何をしたらいいのか、わからない」
「何もできない」
「何もすることがない」
ということについての、不快感、焦燥感、おそれ、無価値感、罪悪感、そういったものがある場合は、
「何をすればいいか?」の問いへの答えを見つけ出そうとしたり、
何かをしようとしたりするよりも、
わたしとは一体なんなのか?に意識を向けるようにしてみます。
何者なのか?ではなく、なんなのか?です。
※昔、パートナーに対して「わたしのことを一体なんだと思ってるのよ!」と文句をぶつけていた頃のことを思い出しました・・懐かしい・・(恥)
わたしは、人生の中で、
「何をしたらいいのか、わからない」
「何もできない」
「何もすることがない」
ということが、何度かあって、そういうときはもう、何をやってもダメで、ひたすら何もしませんでした。
もうこの期間は、絶対に努力とかしないのです。
何かをしよう!と、「芽」なのに、土の中から脱走しようとするようなことは、しないのです。
じーっと、土の中にいます。焦燥感で、ソワソワする感じがしたら、「今、根が伸びていってる」と思うようにします。
そうやって身を委ねているとき、自分はただただ土の中にいて、養分を過不足なく与えてもらい、大いなる存在の計画の一部として、祝福されているのだ・・というような感じが、じわじわと湧いてきます。
「何をしたらいいのか、わからない」
「何もできない」
「何もすることがない」
とか、そういうときって、神の計画に心を開いているときだと、思うのです。
そうこうしながら根がぐんぐんと伸びていって、天と地の「養分システム」との信頼関係が太くなって、しばらくした頃、
あるとき、ふと、
「あれ?そういえば、全然違うフィールドで暮らしはじめて、何年か経ってたわ・・」みたいな感じで、思い出すことがあるのです。
※これは、クライアントさんあるあるでもあって、セッション後しばらくしてから、突然「ringoさん、こんにちは、結婚して、子供産んで、今二人目妊娠中です」というメールをいただくこともあります。
天と地の「養分システム」に浸りきることを続けていると、ある日、「見える」となることもあります。
「見える」よりも、「浮かぶ」「現れる」の方が、感覚的に近いかもしれません。
「自分で見ようと思って見る感じ」とかじゃ、全然、ないからです。
別の角度からの話になりますが「今世で人間が最後」みたいな人には「そもそも、何をしたいとか、何が欲しいとか、願望とか目標とかがない」という人が多いようです。
例えば、結婚願望とか、子供が欲しいとか、出世欲とか、旅行に行きたいとか、〇〇になりたいとか、そういうのがない、みたいな感じです。
もし、こういうタイプの人が、「大人になったら何になりたいのか?」とか「自分は何になりたいのか?」とか「結婚しないと、幸せになったことにならない」とか「子供を産まないと女性として失格だ」とか、「年収いくらになってないと、人間として未熟なので、自分はダメだ、パートナーを作る資格もない」とか、
そういう固定観念に自分を縛っていたとしたら、それはもう、魂への拷問くらいの勢いです、そりゃ、きついと思いますよ。。
あとは、具体的な行動、職業というのは、どうでもよくて、「楽しむことが目的(具体的に何をするかはなんでもOK)」とか「癒しを分かち合えるんだったら、なんでもいい」「教えられるんだったら、なんでもいい」とか、そういうこともあるようです。
逆に「なんでもできすぎる」という状態の場合もあると思います。
職場や家庭などで、なんでも先回りして、なんでも自分がやってる、みたいな状態です。
やることいっぱいある!みたいな。
この場合は、力を抜く努力をすることで、今まで使っていなかった力を最大限に発揮していくことへとシフトしていける時期、
自分自身の無限の可能性に出会うことができる時期、でもあります。