選民思考。選ばれしものたち。
ほんとうの意味というところでいうと、選ばれしものたちじゃなくて、「選び続けたものたち」と言えるのかもしれない。
怒りがコントロールできない、じゃなくて、怒りにコントロールされている状態、コントロール欲求にコントロールされている状態であることを、知ること。
できても、できなくても、OK。OKというのは、受け入れる認めるジャッジしてない感じという意味であって、正当化ということではないです。「自分を傾聴」に、近いかも。
「マネ」
2018年から「ringoブログの丸ごとコピペだと思う」ということを、何度か聞いたことがありました。そして、それが、今、また、浮上してきたので、書いてみます。
たとえば、「一般的な話」として、「真似っこ」みたいなことを、お友達同士で同意の上で、している、ということもあるでしょう。このような話をここでしている・してきたわけではありません。
なんというか「マネ」というのは、依存です。「自分がない状態」「本来の自己を尊重していない」とも言えるかもしれません。それはつまり、相手を尊重していないことにも繋がります、自動的に、法則なので。
バウンダリー(無境界)の問題は、結構、今、多いです。「心理学な車窓」より。そして「スピリチュアル、エンパスの車窓」より。
それで、大事だと思うのが、そんな自分をまず、認めているというか。自分にはそういうところがある、ということを、自分で受け入れていることが、重要だと思います。
そういう傾向がある、このような欠点というかがある、みたいな感じで、です。責めたり、裁いたり、咎めたり、する感じじゃなくて、反省する感じでもなくて、自罰的でもなくて、「ただ、そういうところが、あるね」みたいな。つ、伝わりますでしょうか・・・。
そうすることで、依存や無境界について、癒しとして学べるというか、学ぶことで成長できる、工夫していける、道がどんどん豊かになるということも、あると思います。
ほんとうの意味での謙虚さ、ほんとうの意味での謙虚さ、というのは、比較したりランク付けしたりレッテルを貼ったりした上での謙虚、とかじゃなくて、自己や他者を尊重していく力が自分にはある、ということを、自分で認めている、ということでもあると思います。
ここまでは「マネ」の話。
わたしが、多分、ずっと言いたかったのは「マネぶ」でした(笑)
「マネぶ」は大事ですよね。これも、自己や他者を尊重していくということであると思います。
なので、そういった意味で、「マネ」というのは、「自分を苦しめている」ということになる場合がある、ということであって、
これの「型」も、生まれ育った環境でそばにいてくれた家族との関係です。
「誰かからマネをされる」というのは、全部が全部じゃないにしろ、あまりも露骨というか過剰すぎると、普段は気にしていない人でも「嫌だ」と感じることもあるでしょう。
これは、ある意味健全なこと、というのは、依存関係が不健全だから、です。依存関係というのは、自分と誰か(大切な人、重要な人)を苦しめる、傷つけることに、なります。
しかし、これもまた、絶妙な感じのところですが、「マネや依存を過剰に嫌う、過剰に反応してしまう、人生に定期的に出てくる」となると、これは投影の可能性があって、つまり「隠している憎悪している自分」を投影しているということを、問いかけるチャンスかもしれないです。
こういう「嫌な人」「嫌な出来事」などは、自分が実際その状況に置かれると、本当に嫌だったりするのですが、これはテーマでもあって、このテーマというのは、「使命」だったり、「喜びな出来事(これはもちろん人によっては結婚ということはあると思います)」だったりを、自分が本気で受け取る覚悟をしたからこそ、現れたものでも、あります。
それで、ringo活動においては、恋愛・結婚・パートナーとの関係のご相談が圧倒的に多いのですが、
そうじゃなくても、お金でも仕事でも、同じなのですが、(これは、ringo以外のカウンセラーさん、セラピストさん、霊能者さんも同じだと思いますが・・・)
もうですね。「生まれ育った家族との関係」です。
ここみないまま、いくら、波動を上げても、下がると思います。波動は「あげることだけ」が重要ではありません。
これも、ポツポツいただくご質問、ご相談?で・・・
たとえば、一度奇跡的な体験をした、ものすごい引き寄せを体験した、というかたで、
でもまた、
「大変なことになった」
「また、大問題発生」
「なかなか、心にひっかかるものがある」「スッキリしてない」
「執着しているかも」
みたいな場合。
これも「生まれ育った家族との関係」です。
これは、意外と、スピリチュアルのお仕事されていらっしゃる方からのご相談も多いです。(わたしは、スピリチュアルのお仕事をしているからこそ、そのようにして、ご自分と向き合う、というのは、さすがだな、素晴らしいなと思いますよ)
「生まれ育った家族との関係」
ここを、丁寧に、丁寧に、向き合って、受け入れて、自分を愛していく。
自分を愛していく、というのは、愛が自分の中にある、ということを、自分で認めているということと、同じ意味です。
向き合うとき、抑圧されている感情を浄化していくとき、不幸依存症を終わらせる時、無意識にある「隠していたもの」を明るみに出すとき、痛みというか、不快さを伴うことはあります。
でもだからこそ、それがとても不快だからこそ、もしかしたら、自分の中にある愛、創造性、無限の可能性、無条件の愛と、出会うことに、なるのかもしれないですね。