心を開く、何に開く?

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心を開くとは?

たしか、ずっと昔、心を開くということが、

「ダメな自分」、「最低最悪の自分」、「惨めで哀れな自分」を曝け出すこと。

「自分」の「罪」や「恥」を、「聖人君子たち」に、涙ながらに、告白し、許しを乞うこと。

「霊的および人間的に進歩した聖人君子たち」から「よろしい。そんなあなたでも、受け入れてあげましょう。わたしは心が広いのでね」と言っていただき、「霊的および人間的に劣っていて低レベルのわたし」は、ありがたや〜となること。

あるいは「自我の意見」を「自分の意見」と勘違いしたまま、自我を曝け出して、みんなから「すごいね〜!」と言われること。

パートナーに「最低最悪のわたし」でも愛してくれるわよね?という圧をかけつつ、だだをこねたり、感情をぶつけたり、試し行為をしまくること。

のように、思っていたかもしれない、勘違いしていたかもしれない、そして勘違いしていたことすら気づいていなかったかもしれないことを、今、ふと思い出して、

今わたしはこれを、空港で書いているのですが、ひとりで笑いが堪えきれなくなってしまっています。笑

あなたにとっての「心を開くのわたしなりの定義」は、どんな感じが思い浮かびますか?

よかったら、いつか、教えてほしいです。

 

わたしは今、神に心を開いていたいと思います。

神。光。無条件の愛。

そういったものにだけ、心を開いていたいと思います。

けれども、神の光に心を開くといっても、神は、まだこうして「この世界で暮らしているという夢を見ているわたし」にとっては、理解を超えますので、

今はまだまだ、よくわからないままなのですが、でもわかりたいと願い、導きを求めながら、ただ、神にだけ心を開いていたいと、いつも思い出します。

「神の光」そして「光と闇」

心が選ぶ、開いていることができるのは、この二つのうちのどちらかです。

わたしは、まだまだ秒で「光と闇」を選ぶことに気づき続ける日々なので、

その度に「神の光」に選び直したいと思っています。

選び直す機会に感謝です。

この反映、延長を必ず見せていただけることにも、感謝です。

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