そして最近

前回の記事にも書きかけたけど、数年前から、

「今まで当然だと思っていてやっていたこと、今まで好きだと思ってやっていたこと、今までこれが自分だと思ってやっていたこと(習慣)」

が、どんどん、終わっていっているというか、できなくなっていってるというか、無味無臭になっているというか。

身体感覚、体調なども、なんか、今までの感じと全然違ってきていて、

時間感覚も、違う感じ。

本当にもう、過去は存在していなくて、過去を頼りにするとかじゃないんだな(幸せな意味でです)、と感じます。

(幸せな、愛の記憶、というのだけが、ずっと今にある)

 

 

なので、お久しぶりなクライアントさん、お久しぶりに会う方などで、「変わりましたね」という方も、たまに、たまにだけど、いらっしゃいます。

 

 

これまでの「わたしの過去からの習慣、趣味趣向」などの、全部とまではいかないけれども、いくつかは、

「あのとき、わたしが、この世界の苦しみをわかろうとしなかったら、無力なふり、できないふり、わからないふりをしていなかったら、していなかったこと、好きになっていなかったこと、興味を持っていなかったこと」だったかもしれない、と、ちょっと、思ったり、します。

それで、中身は、変わらないというか、赤ちゃん化してる感じしかしていないし、変わっていないものや、「これはもうなくてもいい気もするんだけど、手放したくないってやってるやつ」もいくつもあるのですが、

外観だったり、生活リズムだったり、行動範囲だったりは、変わったのかもしれないなぁ、とか、思います。

すると、出会う人や、声をかけられる人、つまり、縁も、変わるのでしょう。

自分が自分を偽って、騙すことによって、「わたしが、この世界において、選ぶもの」も、変わるのでしょう。

 

 

こうやって考えてみると、おもしろいなぁ、と思います。

 

 

正直「真っ白なキャンパス状態」というか「空っぽ状態」みたいなのが何年も続いています。

最初は、これが、とてつもなく、恐ろしく、深刻なもの、問題なものに感じられて仕方ありませんでした。

それで、家族、友人、そばにいてくれる人、多くの人々、「兄姉弟子さんたち」に、助けられました。

そして、読者さんとクライアントさんたちは、救いと癒し、神からの言葉と光を、何度も何度も、届けてくださっていた。(直接的に、このように、お伝えすることは、止められることも多くて、できないことも多いです)

 

 

それで「まっしろ状態」は、今も、大絶賛進行中で(笑)

毎日、祈るしかないです。

いつも、何をすればいいのか、尋ね続けていて、

いつも、あなたに使っていただきたい、あなたの操り人形になりたい、わたしはあなたの邪魔をしたくない、と祈っています。

 

 

セッションやグループレッスンなども、全託し続けているのですが、

「自分が邪魔をしようとする瞬間」がすごくよくわかる。

だから、退けることができる。

だから、これからも「自分が邪魔をしようとしていることや、自分の中のエゴに自覚的であれますように。無自覚なときは、できる限り速やかに気づくことができますように。わかりやすく、教えてください」と祈っている。

 

 

自分が邪魔をしようとする瞬間は、やはり、たいてい、

「この世界の苦しみをわかろうとするとき」や「この世界のルール、定義、約束、常識、社会人として大人として、ビジネスとして、普通に考えて、どうのこうの」みたいなときです。

わたしの場合、こういうのが、社会人経験が浅いのも手伝って、かなり自信がないのですが、できないならできないなりに「ちゃんとしなければならない」という「モラルやマナーやルールに厳しい監視官(エゴ)」みたいなのがいる。

 

 

これを手放すのがこわかったのは、神の愛を信じられなかったからだと、あるとき、思った。

心のどこかで「神の愛よりもルールに厳しい監視官(エゴ)の方が正しい」と思っていたと、あるとき、思った。

神聖な存在、いつも導いてくださっているアセンデッドマスターが為すことは、なんというか、「なにしでかすか、わかったもんじゃない」みたいな感じで、

「モラルやマナーやルールに厳しい監視官(エゴ)」の方が、「いい人、安心安全な人として、この世で歓迎される」みたいな感じ。

なんか、こんな、薄ぼんやりとした勘違いが、ずっとあったんだなぁ、と思う。

 

 

それで、もう、ずっと白紙の無計画から毎日祈って、

セッションやグループレッスンやオンラインクラスを楽しませていただいております。

クライアントさん、参加者の皆さん、そして、わたしの、光が為すことを、いつも、見せていただいていて、癒しを受け取っています。

わたし自身「セッションやクラスが終わって、日常生活に持ち帰って受け取るギフトや奇跡の体験」が、たくさんあります。

(わたしにとって、セッションやクラスも日常生活ですが・・)

 

 

クライアントさん、参加者の皆さんから、

「解放された」とか「ブロックが崩壊した」とか「長年引っかかってたことが消えた」とか。

「こうして、祈ったり心と向き合ったり、同じことしてる人のお話聞けて嬉しいし、一体性を感じられる」とか。

なんというか、こんなにも、ありがたいお言葉を頂けて、ありがたいです。

 

 

あとは「〇〇さんのシェアですごく感動した、癒された、解放された、〇〇さんに感謝です」というメールをいただくことも多くて、

それを、わたしは、できれば、可能であれば、本人に知らせたいほどなんだけれども、それができなくて。

でも、心から感謝しているし、祈っています。

「想念がすべて。それは必ずこの世界に形になる」ということを、何度も思い出しています。

でも、そんなクライアントさんたちを見て、「自分の知らないところで、いろんな人が自分に感謝をしている」という現象を、第三者としてですが、見せていただいていて、なんて、素晴らしいことなんだろう、と、感動しています。

 

 

なんというか、最近、正直、言葉にならないほど、受け取るものが大きいです。

受け取るものが大きすぎて、その中に、自然と留まりたい・・という感じが、続いています。

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