「できない」は誤りである可能性

「できない」は誤りである可能性を、

”受け入れる”かどうか。

「今、自分は、”自分にはできない”と、とても強く固く信じ込んでいるのだけれども、

この考え自体が誤りで、過去にしがみついている考えで、つまり新しい可能性を受け入れようとしていないということで、

わたしは、新しい、見たこともない可能性を、受け入れたい」

こんなふうに、受け入れたいと、思えるかどうか。

ただそれだけが、重要です。

「受け入れよう」とすると、「できない!」となる場合があります。

でも「受け入れたい」と思うか、思い続けるかどうか、だけが重要です。

そして、この「続ける」というのが練習であって、実践であって、何を実践練習しているかというと、奇跡です。

自分は、存在するだけで愛し愛される存在、できてもできなくても尊い存在、自分がそうであるということは、全体もそうであるということ。これを、何度も、受け入れたいと思う練習(=思い出し続けている)をしている、という感じです。

 

 

わたしは、最初の頃は、紙に書いて貼って、ノートに書いて、それを、何度も見てました。

最初の頃というのは「外側が原因としか思えないですけど?」「自分も投影してるの?」くらいの頃です。

そんなふうに、思う一方で、わたしは「内側に原因」ということを、受け入れたかったし、受け入れたいと思い続けてきた、という感じです。それは、今も、そうです。

 

 

「これはいくら考えても無理難題」

エゴで考えると、問題というのは、すべてが難題です。その難題の中に、無意識的にランクをつけたり、シャットアウトしたり、例外視することは、あるかもしれません。

 

 

「これはどう考えても自分の力では不可能」

というようなときは、もう、その「自分の力(=エゴの力)」を、手放していくとき、です。

「自分という個体の力で、なんとかしなければならない」

「自分という個体の力で、考えて、計画を立てて、計算して、シミュレーションして、コントロール、思い通りに、することが、わたしが求めていることである」

「”自分という個体(エゴ)”という意識で繋がった集合意識での繋がりが繋がりであり、正義である」

このような、思い込みでは、自分は満足できない、できるはずがない、ということを、気づきはじめている時期でもあります。

 

 

あとは、それを、受け入れるかどうか。

もっというと、受け入れつづけるかどうか、です。

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