自分の「うまくできないところ」を受け入れる

ひとつ前の記事に「できない」は誤りである可能性、という記事を書きました。

あの「できない」というのは、言い換えると、無力感、無価値観、自己否定感、劣等感などの思い込みが根底にあるもの、です。

 

 

今日は「人間として、自分には、うまくできないところがある」という角度からのお話です。

誰にでも、長所や短所はあります。

凸凹⭐︎△みたいに、いろんな形がある、みたいな感じ。

 

 

自分の長所を認めていくというか、それを喜んで差し出していく、使っていただけることに感謝する、ということは、とても大切なことです。

「そのような状況に、今現在ある」という方は、ほんとうに、ラッキーというか、素晴らしいことです。

「そのような状況」というのは、自分の特技を発揮できているとか、求められているとか、それを仕事で活かせているとか、そういうことです。

※ここで比較したり、自己卑下したり、自分をジャッジしている場合は、「もうそのような思考体系に頼ることにはなんの意味もない」ということを理解する必要があります。

 

 

そのように、自分の長所を見つめていくことは、とても大事だし、それが発揮される状況にある場合は、とてもラッキーなのですが、

 

 

同時に、今、とても大切だと思うのは・・・

欠点、短所、というのか、うまくできないところも、同じように、自分で認めて、大切に受け入れていくことです。

問題視したり、深刻視したり、ジャッジしたり、そんな自分を責めたり、消そうとしたり、隠したり、罪悪感を持ったりせずに、ただ、認めて、受け入れていくこと。

 

 

わたしは、この「自分には、うまくできないところ」が、たくさんあります。

たとえば・・・

外出したときに、異様に疲れることがよくあります。だから、たとえば、「旅行に行ったときの1日のスケジュール」なども、活動的な方に比べると、その半分も動けないようなところがあると思います。だから、旅行好きの人や、たくさんいろんなところに行ってみたい人とお出かけすると、本当に申し訳なくなる、ということが、これまでを振り返ると、いろんな人との間でありました。

 

 

でも「いつもいつもどこに行っても疲れる」わけでもないし、外出自体は好きです。はたから見ると、気分屋に見えたり、わがままに見えたり、することは、あると思います。(最近やっと自分の中で、一貫性が見えてきた感じではありますが、それでも、はたから見て出鱈目に見えることはあると思います)

 

 

あとは。これは、ここに書くことが、勇気がいるのですが(笑)

うまく言葉にできるか不明ですが、人見知りというか・・・人見知りともちょっと違うな。これは、なんて言えばいいんだろう?層が異なる人というか、エネルギーが異なる人というか、あまりにも、なにかが「!?」という人と関わると・・・フリーズしたり、下手すると、泣いてしまったり、発熱してしまったり、することがあります。頻度としては、そこまで多くないですが、それでもやはり、「大人たちが集まって、みんなでワイワイしてるときに、突然発熱する」みたいなことがあると、結構な迷惑というか、心配をかけてしまうと思います。すごく気を使わせてしまったことは、たくさんあります。。。

 

 

あと、時間の使い方が下手というか、すぐ、時間を忘れるというか、です。わたしの場合は「自分が、気を抜くと遅刻魔になることは、分かりきっているので、10分前行動ではなく、1時間前行動を心がける」みたいな時期もありました(笑)これだと、単独で動いている分には問題ないのですが、家族など同行者などに、随分と苦労をかけるものです。

 

 

あと、忘れっぽいです。仕事のことなどは「メモをする、メモをみる」する時間をちゃんと持たないと、「いつまでも夏休み〜🎵ずっと自由時間〜🎵」「1日かけて洗濯」みたいなモードに突入して、いろんな現実的なことを、忘れてしまうことがあります。

 

 

自分の中のルール・ルーティンみたいなものがあってそれが乱されるとフリーズしやすかったり。

 

 

「居場所にこだわりが強い」みたいなことも、あったりします。ボストンテリアが寝床に異様にこだわる、みたいな。(実家にボストンテリアがいて、異様に寝床にこだわります)

 

 

あとは、なんだ。ほかにも、あると思いますが。

わたしには、このように「自分には、うまくできないところ」が、あります。

↑ここに書いたようなことは、「そばにいてくれる人」「いつも一緒にいる人」などには、かなり、ストレスを、与えてしまうと思いますし、意味不明に見えることもあるでしょうし、心配かけることも多いと思います。

自分でも「側から見て、迷惑をかけたり、気を遣わせたり、理解され難いことはあるだろう」というのは、分かりきっています。

 

 

ある時期までは発達障害なのだろうか、と悩みましたし、ある時期までは、自分の性格・性質が悪いからだろうと悩み、隠そうとしたり、消そうとしたり、嫌悪したり、していました。

ダメだと自分をジャッジして、責めて、治さなければならない、みたいに、閉じこもっていた時期もあります。

ある時期は、開き直って、正当化しようとした時期も、ありました。

「対処法」はあるし、取り入れてはいますが、完璧ではないのです。(対処法取り入れすぎて、かえって神経すり減らして、家族に迷惑をかけたこともあります)

 

 

そして、ようやく、最近、この自分を受け入れられるようになりました。

「このような性質を持った自分」を、ただ、受け入れる、というのは、否定でも肯定でもないです。

 

 

劣等感を持つわけでもないし、居直るわけでもないです。

「劣等感を持つわけでもないし、居直るわけでもない」このように、自分を捉えられるようになったのは、「自分以外のエネルギーを、毎日還す、還し続ける」「祈る(うちなる存在とコミュニケーションする)」これを、ずっと、やってきたからです。

 

 

つくづく、思うのですが、そうなってから、わたしの中で一番変化したというか、驚いたのは、母との関係です。

こんなわたしに対して、母は、「なんでできないの、なんでなの」みたいな感じでしたが(笑)

その、一番、歴史が深い母さえも、そんなわたしを受け入れるようになってくれたのです。

「生まれてから、ずっとわたしをそばで見てきた母、何度も何度も、衝突した母、だから、きっと、その関係が変わることは難しいだろう、無理だろう」と、心の奥で諦めていたことについて、こんなふうに、穏やかな関係が続くようになってから、気付かされるのでした。

 

 

「わけもわからないまま、ただ、自分を受け入れる、自分が自分の理解者になる」これはそのまま「相手がただ受け入れてくれるようになる」に、ほんとうに、繋がりますね、と書きましたが、これは、法則的に、そうなのですよね。

自分が自分をどのように見ているか、が、そのまま、その世界や相手を引き寄せます。

自分が自分の理解者になると、理解し合える関係性になったり、理解者を引き寄せたり、します。

これは、でも、ほんとうに、そうだよな〜、と、最近は、しみじみや感動の連続な日々でした。

 

 

※ちなみに、この記事は「繊細・エンパス・HSP」系な記事でもありました。

「繊細・エンパス・HSP」な方は、本来引き寄せ力が強いので、「どんな自分もただ受け入れる(否定や劣等感の裏返しの優越感などではなく、ただそのままを、受け入れる)」をすると、そんな状況や人をすぐ引き寄せます。

「問題を感じていた相手が、次の日、なんの問題もない穏やかな平和ないい関係になる」などは、これまでもたくさんご報告いただいてきました。

そして、パートナーやそばにいてくれる大切な方には、最初にお話ししておくことも、大事みたいですね。

 

 

今日は「自分のうまくできないところをただ受け入れる」のおはなしでした。

輝こうとしなくても輝くものなので、どちらかというと、自分でダメだと思い込んでいるところの方に、鍵があったりするものです。

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