ちょうど、以前のブログから、こっちのブログへと引っ越した頃。
「用語集」みたいなものを、作りたい衝動に駆られていたことがありました。
結局、作りませんでしたが・・。
あのとき、それが、一体、どういうことだったのか、なぜそう思ったのか、うまく言葉にできませんでした。
それが、やっと最近、言語化できました。
「神様の定義と人間の定義は異なる」
これだ。こういうことだったんでした。
神様の定義、神の子の定義、魂的な定義。
人間の定義、エゴの子・肉体の子の定義。
どの言葉がしっくりくるか、ゆらぎがある感じですが。
例えば「間違い」という言葉についての「神様の定義」と「人間の定義」というのは、かなり、異なる。
定義、というか、雰囲気、というか。
おそらく、かなり多くの人が、
「やはり、どこかで」つまり「全部が全部じゃないにしろ、ある部分においては」という意味で、
「間違い=罪・恥」みたいなところが、あるかもしれません。
平気な顔ができていても、心はちょっと、ちくっとする、とか。
しかし、これは、自己認識が「人間(肉体)」となった場合においての話で、
自己認識が「人間(肉体)よりももっと大きな何か」になった場合、
間違いというのは笑って訂正すればいいだけ、
地球というのは、間違ったらテヘペロする場所、
ということを、思い出しているものです。
「愛」も、
「神」も、
「強さ、弱さ」も、
「力」も、
「絆」も、
「やる気」も、
神様の定義と人間の定義は異なる。
エゴの定義は、もしかしたら、いろいろある感じがあるかもしれませんが(でも一言でくくると一緒だったりする)
神様の定義というのは、「ひとつ」なんだけど、これも、言葉にしようとすれば色々できるのかもしれないので、
もう、奇跡の体験、メッセージ、ギフトを受け取って知っていくしかない、学んでいくしかない、という感じで、
クライアントさんには「奇跡の体験、メッセージ、ギフトを受け取って知っていくしかない、学んでいくしかない」を、お一人おひとりに、体験していただいている次第でございます。。。
こればかりは、口で説明するより、体験しないと、本当の意味でわからないもの(というか思い出せないもの)だからです。
だから、用語集は、作らなくてよかったし、もしかしたら、作りたくなかったのかもしれない。わからないけど。
「願望成就」や「自己実現」や「現実創造」も、
「真理において」と「苦しみにおいて」とでは、
異なると思います。
というか、色々、というか、全て、異なります。
だから、祈りの前に「〇〇(大いなる存在の象徴、神様や観音様など・・)」と、
わざわざ「タグをつける」ということをする。
ただ「助けてください」だと「エゴ様 助けてください」「この祈りを、苦しみの御名によって」的な感じに、なってしまう場合があるから、です。
「エゴ様 助けてください」と「神様 助けてください」は、天と地ほど、いやそれ以上に、意味が異なる。
そうよ、これが言いたかったのよ・・!
あのときは、これが、うまく言葉にできませんでした。
全然、言語化できませんでした。
人魚姫になっちゃったかも、ってくらい、言葉が出てこない時期がありましたが、
言葉にできて、スッキリです。
これを、割と最近、気づいたというか、
セッション中に、自分の口を通して喋っていること(「神様の定義と人間の定義を・・」と喋っていた)を、聞いて、
「ああ、そういうことか」と、腑に落ちていました。
(ありがとうございます。本当に心からの感謝の気持ちでいっぱいです)
これを、今までは感覚的な感じだったのですが、
意識に上がったことで、さらに、加速されている感じです。