大いなる存在から分離しちゃったという夢物語

大いなる存在の一部が「大いなる存在からの分離」を思いつきます。

そして、分離による幻想、エゴという思考システム、という言葉で一括りにできそうな混沌を観測します。

「大いなる存在から分離しちゃったどうしよう」というのが、罪悪感の根源です。

大いなる存在の一部が「大いなる存在からの分離」を思いついただけなので、それすらも幻想です。罪悪感も幻想、存在しない、ということになり、

大いなる存在的には「罪悪感?幻想?なにそれ珍百景???」ということになります。(たとえるなら、です)

大いなる存在から分離したと思い込み、勝手に罪悪感を感じ、でもやっぱ大いなる存在の愛が忘れられんって感じになり、大いなる存在の愛の代用品を求めます。

大いなる存在の愛の代用品として人気なのは、

  • 薬物
  • 暴力
  • 悪口
  • 性行為
  • 人から愛してもらうこと
  • 人から認めてもらうこと
  • もの
  • 知識、情報

などなどです。

これを、悪い、やるな、と言ってるわけではありませんし、思っているわけでもありません。

わたしの話をすれば、一通りの代用品を使い倒すような感じの経験がありました。

その苦痛が頂点に達したとき、大いなる存在の愛を、なぜか思い出したのです。孤独になったおかげなのか、たまたまなのか、なんでなのかわかりません。

外側の世界にはなにもなく、すべて内側にある、無限である空洞としての存在。

「限界」や「執着」などの悪夢を見ているときは、目醒めるにちょうどいいときなのです。

あ、そうそう。

「創造主である神様は自分が何者であるかを知るために自分を分裂させることにより体験したくてこの世を創った」

というような話もありますが、どっちが本当とか矛盾してるじゃんとかではなくて、

関連記事:すべて決まってるの?引き寄せられるの?どっちなの?の件

と同じような感じで「どの視点で語るか?」ということであり、

「どっちが本当なの?矛盾してるんじゃないの?」という声をマーラ(エゴ)と言います。

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