継続コース受講中の方が、マインドウォッチング中の気づきをシェアしてくださいました。
掲載許可をいただいた上で、掲載しております。
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思考を観察していると、思考は私の意志とは関係なく勝手に浮かんでくるもの、
「考えないようにしよう」としている時点で、その思考をキャッチしているということに気づきました。
つまり、思考が出てこないようにとコントロールできないということは、思考は私のものではないということ。
なので、私はそこにある思考に気づくことはできるけれど、それをどうにかすることはできない。
私は思考に気づいたらそれを神様に捧げることしかできない。思考に力を与えずにただ眺めて流すことしかできない。
そう思ったらなんだかとっても気が楽になりました。
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「たったひとつの完璧性から導かれている」そんな感覚を受け取らせていただきました。
ありがとうございます。
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なぜか、今、この言葉を思い出しました。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(サン=テグジュペリ作『星の王子さま』)
この「心で見なくちゃ」の心は、ちゃんと、みんなの中にある。
そして「たったひとつの完璧なもの」「正反対のものがない完璧なもの」に導かれている。
内観を続けてると、この「たったひとつの完璧なもの」にどんどん近づいてくる。
でも、自分で気がついていないことも、多い。
それでも、どんどん近づいて、最後には、それとひとつであったということを、受け入れる。
創造主との違いは「わたしは創造主を創造しなかった」ということだけ。
神から神の子への愛は、完全なる一方通行。
本来は、なにも求めず、ただ愛でしかない、無条件の愛が神の愛。
創造主としては「神の子が愛を受け取って喜んでいるということが愛する」ということになる・・
想像を絶するこの愛を、どうしても、思い出したくて思い出したくて。触れたくて触れたくて。
神ほどの絶対的な完全無欠、完璧性でなければ、わたしは満足できなくて。
でも、その想像を絶するもの、わからないもの、理解できないものは、やはり、こわいような、先にどういうことなのかあらかじめ把握しておきたいような、そういう感じもすることもあって、でも、信頼するしかなくて。
それで、今、わたしは、ここにいる感じがします。
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気づきって、ほっとしますよね。
ほんとうに、光に触れたときって、ほっとしたり、「なんだかとっても気が楽に」なったり、
あるときは、深刻視が抜けて、笑ってしまったり。
あるときは、エゴの思考の動きが「なにやってんだか笑」みたいな感じで、笑けてきたり、します。
この感覚があるから。
そして、もっというと、この感覚がなくても、祈りによって、法則に心を開きたいと望み続けることによって、
何度も何度も「奇跡の体験」を受け取るから。
だから、続けられているんだと思います。
「奇跡の体験」。
「わたし」が「この身」で「奇跡の体験」をすること。
この世界で、自分でもわかるように、わからないわたしでもわかるように、体験をすること。
この体験が、すべてだと思っています。
この体験を通して、恐れや疑いや不満や価値判断や解釈や決めつけや憎しみが、初めて洗い流される・・みたいな感じのところもあると思う。
でも、その大前提として、自分の中にある「恐れや疑いや不満や憎しみや価値判断や解釈や決めつけ・・」「自分で立てた計画や自分で決めた最善策」こういったものを、本気で、本当に、手放す準備をしておく必要がある。
なぜなら、「わたし」が大事に持っているものを、聖なる存在は無理やりもぎ取るようなことを、しないから。
「どうぞ、これを、奇跡の道具としてお使いください。どうぞ、体験を通して学ばせてください。わたしは、なにもわかっていないので、どうぞ、教えてください・・」
このようにして、祈って、初めて、「恐れや疑いや不満や憎しみや価値判断や解釈や決めつけ・・」「自分で立てた計画や自分で決めた最善策」を、光に変換してくださる。
奇跡の体験、癒しのギフトを受け取ること、神を感じること、
こんなにも愛されて守られてると感じること。
これを、何度も何度も、毎日、自然と体験を受け取っていく。
毎日が奇跡、ということが、自然になっていく。
でも、それは、「別に普通だから」とか「自然すぎて気づいてない」とかじゃなくて、
自覚しながら、自然と溢れ出る感謝と喜びと共に受け取っていく。
奇跡を体験することは、本当に大事です。
内的な奇跡は、必ず、外側に映し出されます。
だから、内側を見ますが、体験も大事です。
こちらのクライアントさんも、たくさんの奇跡の体験を受け取っていらっしゃって・・
何ヶ月か継続でご一緒させていただいているのですが、
もう、数えきれないほど素晴らしい奇跡の体験を共有してくださっています。
いつも、本当にありがとうございます。
奇跡の体験の前に、自分の中にある「恐れや疑いや不満や憎しみや価値判断や解釈や決めつけ・・」「自分で立てた計画や自分で決めた最善策」こういったものを、本気で、本当に、手放す準備をしておく必要がある、と書きました。
自分の中にある、さまざまな感情や思考や傷となった出来事・・
こういったものを、持ち続けたいのか。
それとも。
こういったものを、奇跡の体験と入れ替わることを望むのか。
どちらを望むのか、が重要です。
継続コースやグループレッスンやブログが、「恐れや疑いや不満や憎しみや価値判断や解釈や決めつけ・・」「自分で立てた計画や自分で決めた最善策」こういったものを、本気で、本当に、手放す準備をするためのサポートであれば、幸いです。
そして、大いなる存在の完璧な采配、美しいアレンジを感じ、奇跡の体験を受け取る喜びを分かち合えたら、とっても嬉しいなって、思います。