やめたいのに、やめられないようなとき。
やめた方がいいと頭でわかってるんだけど、やめられないってとき。
中毒、依存、怠惰。
感情がコントロールできなくなるときがある、ってようなことも、あるかもしれません。
これは全部、自己否定、自責、罪悪感が、根っこにあります。
自分が自分のことを否定してる、責めてる、自分がなんとかしなくっちゃという罪の意識。
エゴの声に耳を傾け続けることによって、さらにその自分を責めたり、追い詰めたりするようなことを、一瞬でもいいからやめたい。
そして、その一瞬を、たくさん増やしていきたい。
自分を責める必要なんて、どこにもありませんし、その否定的なセルフイメージが、そもそもの勘違いで、間違いなので、ここを見ていく必要があります。
逆に、↑、みたいな人が、身近にいる場合。
そして、自分は、そんなことないもん、という場合。けれども、それが問題に感じたり、嫌だと感じたり、相手を変えたい、相手が変わるべきだと思うとき。
そういうときほど、
「まさに、わたし自身だった」
と、もしも、純粋に気づくことができたら、
もうそれだけで、チャクラ全開レベルで、深く癒される、霊的成長、フィールド上昇になると思います。
けれども、それは、なかなか難しく感じられるものです。
その場合も、やはり、心の奥で、自分が自分を責めていないか、ジャッジしていないか、内観してみたいところです。
「自分は⚪︎、相手は×」というのが、分離の見方で、
これは、全然関係ないと見える何かに繋がってたりするものです。
もし、これで、なかなか、どうしても自分は⚪︎なんだけどなぁ、というときは、
優越感だったり、自分だけ特別な存在でまわりを見下してる、ということもあるかもしれません。
劣等感の裏返しの優越感から、まわりを見下すのも、実は自分が自分を見下してるからで、
そして、その「見下されるようなセルフイメージ」にあまりにも現実味を持ってしまっているので、自分で見るのもこわい感じがしてた、見たらエネルギー消耗しそうな気がしてた、ということです。
このパターンと同一化してると、無意識的に「神も見下す、引き寄せの法則も見下す=つまり、なかなかうまくいかないなぜだろう」ということになります。
エゴはバリエーション豊かなようで、パターンは決まってます。みんなそうって感じです。