内観して、内なる神性に心を傾けて、その導きを受け入れていくようになると、
「エゴのいうことと、ハイヤーセルフのいうことって逆」
ということは、非常によく言われてる、あるある、という答え合わせを何度もしてきました。
わたし自身もそうでした。
これはもう、こういうものだ、という感じなのでしょう。
ちなみに、ハイヤーセルフの声(本来の自分自身、神聖性による導き)は、エゴの声がうるさ過ぎると、聞こえません。「エゴの声がうるさ過ぎる」を通り越すほど絶叫の場合は「エゴの声も聞こえてない(同一化、無意識状態)」となります。
だから、心を静かにすることが大事で、その前に、エゴの声をよく聞くこと(内観)が大事。
こう振り返ってみると「エゴの絶叫が聞こえている(思考がうるさいような状態)」って、いい感じでもあるのですよ。これを否定したり、格闘したりするのは、もったいないというほど。この辺りも、エゴの捉え方は逆ですね。
まだエゴのこともまったく知らない頃から、直感的に、「普通だったらAにすべきなんだろうけど、Bの方な気がする」とか「わたしはAだと思うけど、でもなんだかBな気がする」という”声”があって、その”声”に従うと、いつも必ず、想像を超える素晴らしい経験がありました。
反対に、心の奥で引っ掛かっている”声”がありながらも「自分の計画」を押し通そうとしたとき、押し通したときというのは、後で必ず・・・それが例え数年後であったとしても、
その”声”と直面することになるのでした。
その経験が重なるたびに、その”声”を大切にすることが、自分と、そして、みんなの、最高最善の幸せにつながっていること、だから、本当に、その導きを大切にしていくことが大事なんだと、その度に思いを深めていっていました。
それが自分を愛すること。自分を愛することは全体を愛すること。
愛すること=愛されること。これを認識して実感していくようになることが、愛、奇跡を受け取っていくこと。
この”声”というのは、わかりやすく届くこともあれば、感覚でくることもあって、わかりにくい、微かなときほど、立ち止まって、心を静かにして、よく聞くことが大事だと、本当に思います。
例えば内観も、分析などはする必要ないというか、分析するのは内観ではないですが、
自分の中にある、価値観、判断、固定観念、決めつけなどを、見つけて、手放していく、ということは非常に重要です。
「わたしは、絶対にこう、こう思う、これはこういうもの!これが正しい!わかってる!だって〇〇だし!」
と、エゴは声を大にして言いますが(笑)
これを、喜んで手放せる感覚があると、掴めると、非常に楽です。
だって、普通に考えて、今までのやり方で「真に正しい」のであれば、なんの苦しみも、問題も、悩みも、生じないはず、そのような受け取り方にならないはず、なのです。
なので、試練のようなとき、あるいは、長い間モヤモヤしてるようなとき、あるいは、同じ問題繰り返してるようなときほど、
自分が正しいと思い込んでいるなにかを手放すとき、今までとは違う選択ができるとき、なのです。
このときに「わたしが間違ってました、もう、何にもわかってません」と認める喜びの、解放感ったらないです。
書き換えとか必要ないのです。
価値観Aから価値観Bへと変更するのは、エゴAからエゴBになるようなものです。
「このように考えればいいのかな?」ということさえ、自分でやらないのです。
手放して、あとは、内なるハイヤーパワーに信頼してゆだねるのみ。
すると、空っぽになったところに、神によるミラクルが書き込まれます。
神さまが、手取り足取り、完全にめんどうを見てくれてるのです。
わたしがすることは「思い込みを見つけるだけ」「エゴの信念を見つけるだけ」「手放したいと思い、差し出すだけ」です。
意外と「手放したくない」ということもあると思いますので、そのときは、ひたすら、「そんな自分を受け入れる」です。自分に寄り添うことを学びます。
なにもしない、自分でしないって、なにかしようと頑張ってきた場合ほど、非常に不快に、不安に、感じられるかもしれませんが、
緊張するのって、自分でしようとしてる、エゴの力に頼ってる証拠だよなと、自分を振り返ってもそう思います。
自分で色々と計画を立ててコントロールしようとして(自分でとすら思ってない場合もあるかもしれません、そりゃそうでしょと思い込んで気づいてもない、ということはよくあります)
この「自分の計画」「コントロール」のベースにあるのが、おそれの動機だったり、自己否定の前提だったりするので、なので、おそれ(不安、心の疲れ)や劣等感が膨らんでいくのですが、
自分では正しいと思っていたり、「わたしはわかってる」と思い込んでいたり、「こうなることが幸せで安全なこと」と思ってたりするので、
これがコインの表裏一体であるとみていくことは非常に重要ですね。
「わたしは間違ってました」「わたしはなにもわかっていませんでした」「わたしはなにが正しいのか間違いなのかまるでわかっていません」「あなたが100%完璧に導いてくださることに感謝します」「わたしは心を開き続けます」と祈ることは、この上ない解放感です(笑)