「わたしとはいったいなんなのか」
「この世とは、この世界とは、いったいなんなのか」
これを、わたしは、小さい頃から、ずっと、考えてきました。問うてきました。
小さい頃。何歳だったか覚えていませんが、少なくとも、あの家に住んでいた頃なので、5歳未満でしょう。
わたしが生まれてからしばらくの間住んでいた、あの家の、あの、ふとんのなかで、わたしは、
「わたしとはいったいなんなのか」
「この世とは、この世界とは、いったいなんなのか」
を考えて、そして、目を閉じると、宇宙を見ていました。
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わたしのいう「わたし」には、何種類か、あるようです。
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「わたしとはいったいなんなのか」
「この世とは、この世界とは、いったいなんなのか」
「わたし」というものは、何種類か、あるようです。
わかりませんが。
「わたし」というのは、空で、
「思考・感情・考え・アイディアなどなど」は、雲である
と、いまは、おちついています。
わたしに、うかぶ、なにもかもは、雲です。
なにもかもが、雲。
わたしが知っている、わかっている、確信している、なにもかもが、ストーリー・ドラマ・脚本、です。
わたしは、観察者。ただ、あるもの。
ほんとうは、なにも、動じていないのです。
そして、すべての創造者でありその体験者なのです。
すべてを創っているのは「今」でしか、ありません。
今、「わたし」が、フォーカス、しているところ、が、重要なのです。
わたしの心(真我)と、わたしのフォーカスが、一致していれば、「素晴らしい現実」を受け取ります。それは、感動です。「素敵!」「素晴らしい!」「美しい!」という、感動です。
ほんとうは、願いは叶うのです。
願いが叶わない、ということは、なんかが、あるのです。「自分がしっくりくるなにか」があるのです。
別れや破滅が怖い、なにかが怖い、痛みを伴いたくない・・・
というのであれば、内側と向き合えばいいのです。
真実は、愛しか、ありません。