前回、前々回の記事からのつづきです。

もういっちょ!
「愛や奇跡を受け取る恐怖」「愛や奇跡をおそれている状態」
となってしまう方、意外と、多いです。
というか、深まっていけばいくほど、これは、必ず、やってきます。
「神さまの愛、奇跡、に近づくと、こわくなる」
これが、エゴの性質、ですから。エゴは、エゴを保持します。エゴというのは、恐れや罪悪感や否定や分離の思考で、それに閉じ込められている状態が、エゴとの同一化、です。
そして、これを「自覚がない」というケースも、非常に、多いです。
自覚がある場合は、OKです。
自覚がない場合は、自覚するというか、意識にあげておくことが、重要です。
たとえば、
- 小さな幸せはいらない、大きな幸せじゃないと意味がない
- 抽象的ではなく、具体的な愛がほしい
- 攻撃的な気持ち、怒り、不満、憎しみなどを、手放したくない、持っていたい
- 絶対に自分は正しくて、間違っている人が存在している
- 悩み・問題・葛藤がなくなるのが怖い(退屈、虚無感)
- 静寂など魅力がない、おそろしい、退屈である
- ドラマチックな人生じゃないと味気ない
↑このような、感じがでてきたら、「神さまの大きな愛・奇跡に近づいている」ということです。
「神さまの」なので、「エゴが作ってるストーリー、ドラマ」などを、はるかに超えます。想像を絶するほど、すばらしいものなのです。
「エゴが作るストーリー、ドラマ」は、マイナスとプラスの行ったり来たりです。場所を変え、登場人物を変え、状況を変え、過去のパターンを繰り返しているのが、「エゴが作るストーリー、ドラマ」です。嫌な予感が当る、という方は、このカラクリを、見破りはじめている、ということなのです。
ほんとうのわたし、というのを、思い出すのです。
「ほんとうのわたし」というのは「ビジョン」だけを使っています。
ビジョン、というのは、願い=叶う、なのです。
自分の願い=神の願い=宇宙の願い、わたしの幸せ=すべての人々すべての存在の幸せ
ということなのです。この位置(位置というか、なんというか)を、あなたは、持っているのです。持っていないと思えても、持っているのです。わたしたちは。全員。完璧で無償の愛でしかない、創造主と、直接、つながっているのです、それを覚えている心、というのが、あるので、それを、選びたい、とおもう・祈る・願う、だけでいいのです。ここで思い出すのが「求めよさらば与えられん」です。