自己否定。自分自身を否定的にみる思い、自責、罪悪感・・・から解放されるには?
まず、はじめに、欠かせないのは、自己否定していることに気づくこと。認めること。です。
「そんなに悪くないはずなのになんで?」という場合などは、自己否定と他者否定に気づいてない、ということが、ほとんどです。
「自己否定するのは悪いこと」と、ジャッジ・禁止している場合もあります。
裏に自己否定を隠したまま「自己肯定感を高める」と言うことを頑張ってらっしゃる場合もありますが、これは「表裏」のような感じで、片面を広げようとすると、もう片面も広げるようなもので、なぜかどんどん心が苦しくなってしまいます。
自己否定することがいいとか悪いとか、そう言うことではなくて、まず、自己否定に気づいたら、あるいは他のさまざまな分離の思考・信念・価値観に、ただ、気づけるようになること、が大切です。
ここに気づいてなかった方が、ただそれに、気づくだけでも、かなり、解放されていきます。
そんなふうに、自分が自分で気づいてないところに、ただ気づいていけることが、自分と一致していくことです。
自分と一致していくって、ただ、「やりたいことをやる・やりたくないことをやらない」ということだけではないです。
「マイナス」の部分、思考癖、思ってること、なんでも、そのまま、ただ、自分が素直に認められること。
この、マイナスの部分をみる、認めていく(書き出すなど)って、すごく安心することでもあります。
今までずっと隠して、認められなかった部分を、紙に、自由に、そのままを書き出すって、そのままでも、心が洗い流されるようなことです。
このときに「どうしても自分を責めてしまってつらい」とか「どうしても自分が悪いと何度も思ってしまってつらい」というとき。
自分が奇跡を受け取るとき、癒しを受け取るとき、というのは、自分ひとりでは不可能で、必ず、誰かと一緒に、奇跡や癒しを経験する、ということを思い出してみてください。
奇跡や癒しって、神の采配で、神の領域のことというのは、必ず全体にとっての最高最善です(もちろん、ここには自分自身も含まれます)
ここにアクセスする、というか、こことのつながりを思い出す、深める、というのが、奇跡を経験して、ほんとうに癒される、ということでもあると思います。
ですので「あの肉体と、この肉体と、わたしの肉体」という「個」「個別」というものを超えたところで、受け取っているものなのです。
そして、ほんとうは、わたしたちは、自我によって「完璧な愛をおそれている」ということを、さまざまな否定的な思いや、分離の思い、問題に差し替えているのです。