自分が愚痴を言ってるほう、じゃなくて、聞いてるほう、のご相談もいただくので、書いてみます。
この場合、
(1)相手をジャッジ(禁止)してる場合もあれば、
(2)浄化・内観を進めてきたところで、「もう、ただしんどい」ってなってる場合もあると思います。
(1)の場合は、見事に、自分も誰かの悪口(否定、批判、愚痴)を、言ってます。
「絶対に言ってない」という場合は、心の中で、他者攻撃してます。(あるいは気づいてないだけで、言ってる、ということもよくあります)
あるいは「いい感じな感じをして批判(わかってるふうに話すとか、笑い話に変えて相手を見下すとか)」してる場合もあります。
これは、全部、鏡です。自分のこと否定して、批判して、攻撃して、嫌ってる、ということです。
なので、鏡(投影に気づく)というのは、反省でも取調でもなくて、自分のことをもっと愛しませんか?という話です。
まずは、自分を、愛しましょう。
(2)の場合。
この場合は、普通に考えて、スルーすればよいです。
できない、という場合は、無意識でしたくないと思ってるので、
自分の中に、ジャッジやコントロールなどの罪悪感がないかどうかをみて、手放します。
例えば「母親に悪口などやめさせたい」というのはコントロールです。
相手をコントロールしないことは、とても大切です。
たとえ、「これは本人にとってもいい話だから。愛に戻る話だから」と思ったとしても、相手が求めてもいないのに、無理やり押し付けようとするのはコントロールです。
※これは逆に、「母親のせいで」と言いたいような場合、母親は、このように「あなたのためを思って」というのが奥にあった、ということは、非常によくあることなのです。コントロールって、こんなふうに「相手のためを思って」という愛・思いやりに似た形をとることがあるのです。
今のまま、ありのままの輝きを認めていくのが愛です。
例えば「母親から電話がかかってきて、悪口ばかり延々と聞かされる」というような場合。
同調しないというか。エネルギーを合わせない感じです。
「うちの母、結構、粘り強いんですけど」という場合は、わかりやすくしっかり境界線引く(物理的・時間的に距離を置く、逃げる)というのは、全然ありだと思います。
その上で、ご自分の中に、ジャッジメント(こうしなければならない、そうするものだ)などの罪の意識がないかどうか、よくみます。(それを手放します)
「親を大切に思ってるし、感謝してる」というのと「気は合わない(エネルギーが合わない)」というのは、同時にあり得ることなのです。
逆に家族ではなくて、お友達だったり、同僚だったりする場合も同じです。
同調しないというか。エネルギーを合わせない感じです。
ときに、はっきりいうことも、大事だと思います。
悪口を言うのが習慣、とか、コミュニケーションの道具みたいになってる方もいらっしゃると思います。
なんというか「悪口や愚痴を言うことが、心を開くこと、仲間意識を育むこと」みたいな、そういうふうに思い込んでいる方も、いるのです。
たとえば、実家暮らしの方なども、意識的にひとりの時間を増やすとか、工夫できると思います。
自分もしたくて、悪口大会しているなら、話は別ですが、そうではない限り、それがもう嫌だ、となっているのであればなおさら、物理的に距離を置くとか、時間を短くするとか、場合によっては逃げるとか、全然アリです。
反対に、無理して、ずっと距離が近いまま、相手に合わせてると、自分の本音を生きれなくなる、自分の本音や感覚がわからなくなる、こともあります。
まずは、自分、という、ここが充電できてることは、とても大切なのです。
その方がかえって、相手がご両親の場合などは、感謝なども自然に出てくるものです。
フォローセッションなどで、お久しぶりのクライアントさんあるある(?)の、ひとつかもしれないのが、
この、同調、です。同調はしない、しないことは、させないことでもあります。
なんというか「(螺旋階段、登ってたんだけど、相手に合わせて、降りてきちゃって)それで、今、混沌としてます、なぜでしょうか」みたいな感じで、
この場合は、自分の軸をぶらさないことというか、強くあるとは愛であるということを、受け入れること、すごく大事です。
今まで結構、スピリチュアルのお勉強だったり、セラピー受けてきたり、というクライアントさんも、ここがテーマの方、多いかも、です。
ピンポイントでこれだけがテーマの場合、奇跡受け取るのが早いです。