とことん寄り添う

自分にとことん寄り添う。

正しいとか間違いとか、そういうのを抜きにして、ただただ、そう思ってるんだなぁ、って寄り添う。

見張るんじゃなくて、ただ、あたたかく見守る。

 

 

そうやって、内観、浄化していってると、あるとき、すごくすごく自分が自分を傷つけてたことに、気づくものです。

ありとあらゆる状況、誰か、何かを使って、わたしがわたしを傷つけてた、それに気づくことが、

ほんとうの意味での癒し、深い深い癒し、の、はじまりです。

もう、自分を疲れさせるようなことは、本気でやめようって思えてきます。

自分を無理させることも、本気でやめようって思えてきます。

感情が浄化されてくると、感情を使わなくなってきます。ここから、どんどん、現実創造も加速していきます。

 

 

感情を使わなるって、自然と雑音雑味が減るような感じがします。

我慢するとかじゃなくて、疲れなくなる感じ、自ら引っ張られに行かない感じです。

 

 

今までのありとあらゆる苦しみの、その奥にはジャッジやコントロールなどの、罪悪感、があります。

「罪悪感ない」って方は、内観して一致していく中で、出てくるものです。

それで、この罪悪感を深めないこと。

もちろん、謝ることって大事ですが、

「正しいか?間違いか?」よりも「幸せかどうか」を大切にしていくほうが、かえってみんなと幸せを分かち合えるものです。

「いろんなことを心配して、おそれて、不安になって、正しいか?間違いか?を気にする」と、やはり、そのエネルギーになります。

これを、手放さなきゃならない、ってやるよりも、ただみていくだけで、「もう疲れた、やめよう」ってなると思います(笑)

 

 

ジャッジメントやコントロールを手放さなきゃならないとか、感謝しなきゃいけないとか、内観しなきゃいけないとか、こういうときって、

「自分の思い通りにしたいためにそれをしようとしてないか」確認したほうがいいかもしれません。

もちろん「自分の願いを叶えたい、思い通りにしたい」という思いが入り口となって、こういうことを学んでいく人も多いと思うのですが、いつまでもそれだと、

長い間「自分や誰かが思い通りにならない苦しみ」が続きます。

なので、とにかく、まずは、そのままを、認めていくことです。

 

 

本音と一致すること。

自分が自分の中の、心地よいとか、心地悪い(疲れる)とか、そういったものに、ほんとうに、ほんとうに、ピタッとなっていくこと。

自分と一致していくこと。

自分が自分のエゴも含めたどんなところも、認められていくこと。

 

 

この下地は、すごく大事で、それが難しいときって、二重の自己否定、ジャッジになってるので、これはもう一個一個、いいよって、していくだけです。

 

 

今まで自分の感覚で生きてこなかったとか、ジャッジ・コントロールが強かった場合などは、

この「ただ、いいよ」が難しく感じることがあります。

それは、今まで、すごく、難しく生きてきたからで、

ほんとうは、とっても、簡単でよかった、ということです。

「ほんとうは、とっても、簡単でよかった」というところのご自分の内側の感覚に、いつもいつも向かうと、おもしろいほど、外側に奇跡やサイン、そのしるしが現れます。

それは、本人が「そうとわかる形で」現れるものです。

内なる神からの答えって、外側を使ってわかりやすく教えてくれるものです。

 

 

この本音、本心というところは、すごく大事ですね。

ここが無意識的にズレたままだと、ずっとズレつづけますので、

なんかずっとズレてるかも、繰り返してるかも、という場合は、

「正しさ」じゃなくて、

ご自分の、心からの幸せに、敏感になってみる。

繊細・敏感・HSP・エンパス、その他もろもろさんは、おそれ・防御系よりも、幸せに敏感になると決めると、

幸せを自分に許可してあげることになります。

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