内観について、ご質問、ご相談いただいていて、よくあるご質問かも、と思ったので、ブログでも書きたいと思います。
内観についてなのですが、
- 無条件の愛の象徴としての存在(神様、ハイヤーセルフ、光、等・・・)と共に見る
- ただ観察する
これだけです。
まずは、これが、とてもとてもとても大切なんだ、ということを、お伝えできたら、と思います。
「一致する感じ」とか「パズルがピタッとハマる感じ」とか「気づき」とか「ああ〜!っていう感じ」とかは、
この土台があってこそ、です。
自分に問いかけしていく、とか、「この感情の奥にはこの感情もあった」とか、「この思いの裏には、こういう思いが隠れていた」というのも、
この土台があってこそ、です。
内観というのは、どちらかというと「自分の心が自然と導いてくれる感じ」なので、その自然な心の働きに任せていく、それを感じていく、という感じでもあります。
問題視したり、分析したり、深刻視したり、
過去に原因があると問題視したり、
裁いたり、「こんなことしてはいけない」と思ったり、
ということは、しません。
内観しながら自分を裁く、責める・・・という方向へ行かないためにも「無条件の愛の存在と共に見る」と毎回、意図することは、大切です。
「抑え込んで、平気なふりをする」だと、内側にある闇、ネガティブ、誤解などは、抱え込んだまま、となりますが、このようにして光に照らすことで、意識にあげることで、闇は消えていきます。「暗い部屋に電気(光)をつけると暗くなくなる」みたいな感じです。
「過去に原因を探すこと」についてなのですが、
これは「トリガー、共通点を見つけて、スッキリできる」なら、いいのですが、
「私が恋愛がうまくいかないのは、幼少期親がこうだったから・・・」と被害者意識を持ち続けることになるのであれば、本末転倒です。
「自分の心」を指針にして、「心の自然な働きにまかせてみる」と意図してみることは、
とても大切、それだけでも癒しのプロセスだな、と感じます。
不安に思ってるなら不安に思ってるなぁ、と観察する。
イライラしてるなら、イライラしてるなぁと観察する。
これは嫌だ!という思いがあるなら、これは嫌だと思ってるなぁとその思いをただ観察する。
そんなふうにして、見つめていく中で、いらない思い込み、価値観などが見つかれば、それを手放します、と祈る・・・ただ、これだけです。
「自分でなんとかしようとする」と、いつまで経っても苦しいし、難しく感じられるし、道のりが遠いように思えてきます。
なので逆にいうと、自分と向き合っていて苦しいときは、一人で抱え込んでいるかもしれない、自分の力でなんとかしようとしているかもしれない。
けれども、わたしたちがすることは、ただ、これ、だけで、あとは、委ねるだけです。
「こんなふうに思ってます」と打ち明けて、導いてください、助けてください、と祈るだけ、です。
その導きや助けは、「外側(誰か)」からやってくる、ということは、とても多い、ほとんどと言っていいほどです。
その外側の誰かというのは、一緒に暮らしている家族かもしれないし、毎日顔を合わせている同僚かもしれないし、内観のことなんて全然知らない友達かもしれないし、YouTubeかもしれません。
気づいて(=完全に解放されて)、奇跡を受け取る、ということもありますが、
自然な感じで、しばらく経ったあとで「ああ・・・!」となることもあります。
なので、「自分はできてない」と責めるときは、自分では自分の進歩はわからないもの、判断できないものだということを思い出して、運ばれてることを信頼することも大切です。